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「教養」は専門性の前にある。

4月から3つの大学で担当する講義のシラバスをなんとか作り終えた。

前期の担当科目は「ボランティア」、「生活と政治」、「技術と人間」。いずれも教養科目という共通点がある。

教養について調べると、
「学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身に付けることによって養われる、心の豊かさ」
「とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である」
とあった。

こう書かれると、プレッシャーをかなり感じる。

大学というと、何らかの専門性を獲得する場所であると考えられがちだ。
もちろん、その側面はある。
同様に、教養を身に付ける場でもある。

もちろん、教養を身に付けるのに必ずしも大学に行く必要ない。
ではなぜ、大学でわざわざ教養科目を設けているのか。
それは、専門性を身に付けようとするからこそ、だと思う。

何らかの専門的な知識を身に付けてどう使うのか。
これを確かなものにするためには、「教養≒心の豊かさ」が欠かせない。

半径1メートルくらいの身近な事柄からさらに関心を広げ、
他者に耳を傾け、自分の中の偏見や狭量さに打ちのめされ、
同時に、自分の可能性にも気付くことで、
やっとこさ身に付けた専門性を使いこなすことができるのではないか。

ネットに繋がっていたら、様々な情報が目に飛び込んでくる。
世界は、混迷状態から抜け出す兆しをまだ見つけられていない。
だからこそ余計に、「教養」が「専門性」より前にある気がしてならない。

わたしが大学で教えられることはない。
ただ、興味関心を持つこと、疑問を抱くこと、
謎を解こうとすること、いろんな人と話をすること、
地べたを這いながらでも生身で実体験することの面白さを
講義を通して伝えたい。

そんでもって、感じていることを聞かせてほしい。
聞き出す工夫が必要で、それが悩ましいのだけれど、
受講してくれる学生さんとは、これからを共に進む仲間として、
学びを通して心を豊かにし合えるといいなと思っている。

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