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3Dプリンタのものづくりに対して「それは意味があるの?」という質問は避けた方がいいと思う理由

3Dプリンタでのものづくりは失敗の連続です。試行錯誤が基本路線で、ほとんどの失敗の中からわずかに残るものを拾い集めてつくっていくようなやり方が多いと思います。大手製造業のように最初からカチッとした設計をして、そこから道を外れずに作り上げていくようなものづくりとは真逆のスタイルです。周りから見てそのやり方が理解されないことは多いのかもしれません。

一生懸命になっている中で、周りからいろんな声掛けがされることがありますが、自分は3Dプリンタでモノを作っている人に対して「それは意味があるの?」というたぐいの質問はできるだけ避けた方がいいと思っています。作っているものや行動が周りから見て理解ができなくても、何かをつかむきっかけを得ようとしていたり、大きな可能性を持っていることがあるからです。かける言葉が知らないうちに可能性の芽を摘んでしまうことは、実は多かったりします。

日本発の技術でありながら、重要性に気づかれないまま放置したために他国に技術を握られたという事例は少なくありません。実は3Dプリンタもその一つです。3Dプリンタは名古屋市工業研究所の小玉秀男さんが実験した光造形が最初だとされています。小玉さんは水槽の中に液状の紫外線硬化樹脂を入れてマスクフィルム越しに紫外線を当てて露光し、一段下げて露光するという繰り返しで造形品を作ることに成功します。その後XYプロッタで細いビームを当てて立体を造形する実験を行い、これも成功しますが、ただ遊んでいるだけのように映ってしまい、まったく評価が得られませんでした。

下の写真が小玉さんの世界初の3Dプリンタによる造形品です。一見何かわかりませんが、光造形で作られた家の模型です。積層厚は2mmほどで、家というよりはデコボコな丸太小屋のようなものでした。この造形品だけを見れば理解されないのも無理はありませんが、周囲もその技術的な中身について把握し、おもしろそうだからもっとやってみたら?という声が少しでもあれば、状況はかなり変わっていたのかもしれません。

世界初の3Dプリンタはまったく理解されなかった
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmemnm/2013.5/0/2013.5_v/_article/-char/ja/

周りの評価が得られなかったこともあって小玉さんは関心を失います。この技術は小玉さん個人で特許出願されるものの、その次に必要な審査請求がされず、その後アメリカで小玉さんの内容を基にしてより高精細にした形の光造形機が作られます。これが特許出願されて3Dプリンタという名前が付けられ、現在に至ります。

とかく日本では異端なこと、失敗することに対しては理解が得られにくいです。直接言葉をかけられなくても、冷ややかな目を向けられることもあります。産業の上では、日本は何か新しいものを生み出すのは厳しい環境だとよくいわれますが、自分は3Dプリンタの世界だけはそうなってほしくないなと思っています。失敗しても何度でも挑戦でき、挑戦することに対して理解される場であってほしい。衰退が進む日本のものづくりにおいて、3Dプリンタは希望を持てる数少ない分野の一つです。もちろん装置としての3Dプリンタの進化も重要ですが、失敗しても「もう一回挑戦していこう!」という全体での空気感を作っていくことは、3Dプリンタの発展には不可欠な要素だと思います。

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