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日本お米ばなし vol.37 食文化編「江戸で生まれた丼もの」

Natural Farmingは、お米の専門家である「五ツ星お米マイスター」のいるお店です。
お米が大好きな私たちがお届けする【 日本お米ばなし】ぜひご覧ください。


今では様々なバリエーションがある「丼もの」ですが、その発祥は江戸時代。今なお愛される江戸グルメを少しご紹介します。

うな丼

うな丼発祥の地は茨城県龍ケ崎市だそうです。江戸時代後期の芝居の金方(資金を出す人)だった大久保今助が故郷の常陸太田に帰る途中、牛久沼の渡場で蒲焼と丼めしを食べようとしたところ、船が出航してしまうということでご飯の上に蒲焼を乗せて皿で蓋をしておき、対岸に着いたので食べると美味しかった。
大久保今助は、江戸で芝居小屋の多い日本橋堺町に住んでいて、今助が芝居小屋で瀬戸物の丼を使い、熱いごはんの上にうなぎを乗せて出してくれと頼んだことから温かいうな丼が誕生し、江戸っ子の間で評判になったのだそうです。

天丼

天丼は江戸中期の1831(天保2)年に創業した江戸新橋の初代・橋善が創作したとする説があります。橋善は東京で最も古い天ぷらの老舗でしたが、2002年に閉店しています。橋善のかき揚は小エビ、小柱、三つ葉だけで直径12センチメートル、厚さは10センチほどもある巨大なものでごま油で揚げる特徴的なものだったそうです。

親子丼

親子丼は1891(明治24)年に東京・人形町「玉ひで」の5代目、山田秀吉の妻とくが考案して広まったとされています。
鶏肉を割り下などで煮ながら卵でとじ、ごはんの上に乗せると甘い味付けや卵が固まる寸前の美味しさがうけて人気メニューになったそうです。
ちなみに人形町「玉ひで」本店は現在建物の老朽化による建て替え中となっており、本店のすぐ横でテイクアウトのみ提供しています。
また、直営店がソラマチや東京大丸にも入っています。

おわりに

江戸の人々の食への探究心が生み出した「丼もの」は、今でも私たちの大好きなメニューとして受け継がれているのですね。
東京へ出かける際には、お江戸で丼ものを楽しんでみてはいかがでしょうか。


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