【前半】自然体って “酸いも甘いも辛(から)いもある” 美しく過酷な「大自然」の在り方:つぶやきこばなし
こんにちは。あゆみです😊
はじめましてのかたは、こちらからどうぞ。
前回のつぶやきこばなしでは、「今後の発信スタンス」のお話をしましたが、ここで私自身、いろんなことを考えたり、想うことがありました。
自身の在り方や、発信の仕方。に留まらず・・・人生単位での、ジブン改革の段階にいるような気がしています。少し前から「ビッグバーン!」と叫んでいたことが、より具現化してきたように思います。
風邪をひいてしまいそうな急激な温度変化を自覚していて、戸惑いを隠せず、元の状態に戻ろうとするちからも働くのですが。
でも、やっぱり、noteを始めたきっかけの “そもそも論” である「自分を含めた多くの人にとって、安心できる環境をつくりたい」という信念を大事にしたいので、慣れない感覚によるザワザワ感を抱きながらも、このまま、自然の流れに身を任せてみます!波乗りサーフィン🌊🌊🌊
これって、きっと、多くの人が一度は抱く「?(はてな)」ではないでしょうか。
今まさに、私の新しいいのち(価値観)が産まれつつあるこの時。
ひとりの人間が抱えるあらゆる側面や感情にふれていきながら、大自然の在り方と絡めつつ、自己理解や他者理解につながるお話ができるとうれしく思います。
自然体ってなんだろう?
数年前。「natural stance(ナチュラルスタンス)」という屋号を掲げて、個人事業主としての活動をスタートさせました。
こちらで、「肩書きにとらわれないスタンスで、こころを大事にしたい」というお話をしているのですが、ひとことで “自然体” と言っても、様々な解釈ができますよね。
改めて調べると、人の手が入っていない。ありのままの。という意味がある言葉だったのですが・・・なんとなく “ナチュラル” と聞くと、“癒し” のイメージを抱くことってないでしょうか。
ナチュラルグリーンとか、木漏れ日のようなやさしさとか。はたまた、記事の中でも度々登場している「お花さん」のような、可憐で華やかな想像をされるかたがいるかもしれません。前回は「虹」の例え話をしたのですが、こちらも美しい自然現象ですよね。
もちろん、これらも「自然」です。
でも、大自然って、それだけじゃないはずです。
様々な事情を抱えていらっしゃるかたが見てくださっていますので、直接的な表現は避けたいのですが。自然とは、美しいものであると同時に、過酷なものでもあると思っています。少なくとも、(ここまでの)私の人生に置き換えた時の「自然」とは、精神的に “険しい山” のようでした。ひとつ登ったと思ったら、すぐに新しい山が見えてくる。終わりのない、修行コース。
「生きる」って、綺麗ごと抜きにして、いろいろありますよね。小鳥のさえずりに癒される瞬間もありますし、サンサンと輝く太陽の如く、お腹を抱えて大笑いすることもあります。どれだけの水分が体内にあるのだろうと思うほど、滝のように涙が溢れて止まらないこともありますし、火山の噴火のような怒りが、ドカンとやってくることだってあります。孤独の吹雪に耐え忍ぶことも、あるでしょう。
「自然って、なんでしょうか?」
「自然体って、どういう状態?」
私なりの解釈は、こんなかんじです。
いろいろあって当たり前。
上手に生きられなくて、苦しむのも自然。上手に生きようともがくのも、自然体。たくさん泣いて疲れ果てているのに、お笑い番組を見てうっかり笑ってしまうのも、自然現象。
一見すると、自然体ではなさそうな “力(りき)む” ことだって。実は、本能さんが「あなた(自分)を守ってあげたい」と思うやさしさから生まれた、自然現象なのです。全部ぜんぶ、自然体。
自然体でいられないと思っている時ですら、自然体だったのですね。
すっぽんぽんの、その先に。
実は、似たようなお話を初期の頃にアップしていました。
今よりも、さらに。カクカクしている雰囲気です。不自然のように見せかけて、これぞ、まぎれもない自然の産物!記念にのせておきます(笑)
この記事では「すっぽんぽんの、まっさらな私たち」についてお話しているのですが・・・生まれたての赤ちゃんは、当然ながらすっぽんぽんですよね。
「自然体(natural stance)」
純真無垢なヒトの本能に立ち返り、欲しいものを自覚する。そして、スナオに手を伸ばしあうことで、人の悩みが和らいでいくと信じているのですが。
綺麗ごと抜きにして、やっぱり、「こんなふうに見られたい」って願望がわいてきたり、人生経験を重ねるごとに「こんなこと言っちゃいけない」って禁止ワードが増えていったりしますよね。私にも大いに心当たりがあるのですが、肩がこるし、堅苦しい。だけど、時にはその安全柵が、自分や周りの人を守ってくれることもあります。
どう転んだって、あるがままなのだとしたら。
どうしたいか?を見ていくのも、いいのかもしれません。
「あなたや私は、どういう人間で」
「あなたや私は、どんなふうに生きたいのか」
これを読んでくださっている皆さんは、どうですか?
私の場合は、こんなかんじです。
(横に「誰か」がいる前提です)
そのうえで、こんなことをしたいです。
みんなで守る大自然。抗いながら、受け容れながら、共生していく大自然。
できないこともあるけれど。できる範囲で、一人ひとりに、できることがあるはずです。私も、できないことを受け容れつつ、自分にできることをします。
あるがまま。ありのまま。そのままで。
あなたや私の大自然を、そのまま受け容れて。
滝のように激しく。太陽のように熱く。風のように爽やかに。雨のように澱(おり)を流し。星のように希望をもって。月のように、不安や痛みに寄り添う。
きっと、ひとりの人間のなかにいる「自然」たちが、それぞれに色濃く主張しているぶん、強い葛藤が生まれるのだろうなと思います。でも、これらは相容れないようで、ひとつのもの。そんなふうに捉えています。
「自然体(natural stance)」
どんな人にも「酸いも甘いも辛いも、しょっぱいも」ある。そのうえで、どんなふうに、生きていきたいのか。選べるものも、選べないものもあるなかで。なにを選んで、選ばないのか。
ひとりで決めることもあるし、決められないこともあるでしょう。そんな時に、隣にいてくれる人がいたならば、一緒に考えてくれる人がいたならば。身近なところから。支えあって、受けとめあえる環境を、つくっていきたいです。
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【後半】では、これらの内容をふまえたうえで、「料理」や「調理」に例えながら、今後の構想や計画をお伝えしたいです。よろしければ、続きもご覧いただけますとうれしいです。
お読みくださって、ありがとうございました😊
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