からだと同じように過去も心も洗い流せたらいいのに。
ミッドナイト・イン・パリが好きだ。ウディ・アレン監督の作品なのだが、何度観ても、初めてみるような、新しい学びを見つけることが出来る。今回感じたのは、「過去」に対する向き合い方だった。
そこで思ったのが、タイトルに書いた、からだと同じように過去も心も洗えたらいいのに。である。
私なんか、それはもう1日単位で過去に悩まされる。とくに仕事は。昨日の出来事を今日まで引っ張ってしまう。寝たら忘れるタイプではないのだ。
寝ることによって、人生が毎日新しいスタートのように送れたらどんなにいいだろうかと思うのだが、そんな毎日ハッピーニューイヤー系男子にはなれそうもない。
やはり「過去」はいろんな意味で魅力的なのだ。「栄光」でみれば、昔話しに花を咲かせると最初に表現したのはだれなのだろう。本当に的確で素晴らしい表現だと思う。私の父は酒を呑むたびにそれはもう10分咲き、満開中の満開である。
一方で「過去」を消し去りたい、もう忘れてしまいたいと思っても、それは叶わないことが多い。とくにまだ30歳にも満たない私は、悲しみを時間が解決することを感じたことがない。
それはまだ時間が解決するほど生きてないからかもしれない。先何十年かかるか分からないが、先輩方が「時間が解決することもある」と言うのだからそう信じて生きるほかないのだろう。
歳を重ねれば、とても人には言えないような出来事も経験することになる。どれだけ避けようとしても、やはり「運命的ななにか」が起こってしまうのが人生だ。誰にも予想できない。故に避けようのない不幸は必ずある。
知らない方が幸せなこともこの世には多い。
そうやってたくさんの悩みや辛さを抱えながら毎日を過ごしているのだが、私はとても良く出来た人間とは言いがたいので、やはり腹を立てることもある。なんでも許せてずっとニコニコしてるなんて神業は出来ない。
出来ることがあるとするなら、せめて人前では見せないことくらいか。
やはり、完全にキレイな心でいることが出来ないのだ。キレイであろうとするほどしんどくなる。だから、過去も、自分のそういう不甲斐なさも全部洗い流してしまいたいと思う。
もちろん認め、受け止め、それでも力強く前に進めれば1番良い。
だけど、タイムスリップじゃないけど、やっぱりどこかでやり直したいと思うし、いつも逃げることを考えてしまうのが正直なところだ。
ー あぁ、全部洗い流して〜な〜。
これが本音である。
ただ、最近は、そう思ってしまうことを否定したり、力技でポジティブ変換したりせず、ひたすら耐え忍ぶのも悪くないなと思う。
確かに口外すれば楽になることもあるだろうし、周りに助けてもらえることもあるかもしれない。
だけど、結局、最後の最後は自分次第でしかない。
たくさんの先輩たちに最近の若いのは忍耐力がないと言われてきた。これは私は否定できない。確かにそうかもしれないと思う。
忍耐こそ「美」などどいうつもりはないのだが、「我慢」が悪だとも思わない。時代にそぐわない価値観かもしれないが、やはり人間社会に属している以上どこかで「我慢」しなければならない材料は必ずある。
逆に、このような時代だからこそ、我慢や忍耐の本当の効力は「自分」に向けて発揮させることで活きてくるような気もする。
少し話しがそれたが、
「過去」が魅力的なのは、すがれるからだ。
いつだって自分の1番近くに、手の届くところに間違いなく存在している。良い意味でも悪い意味でも寄り添って離れない。
捨てたい過去も、醜い自分の心も洗い流すことはできないけれど、その「過ちたち」がいつかきっと、誰かの役に立つと信じて生きていく。
ギル) ー 現在って不満なものなんだ。それが人生だから。
アドリアナ) ー 作家って嫌ね。言葉ばかりなの。私は心が大事よ。
「ミッドナイト・イン・パリ」より。
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