親の介護は『私自身の再建』でしかない②
前回投稿①で、『私が私(愛)になれた』などと書きましたが、、
ちょっと、、自分自身でも“めんどくさい人”だと自分を持て余すところがある(あまり分からない様に振る舞ってはいるが)私、、
社会性の枠からはみ出さない様にアンテナを張り上手く生きていくことに全力で気を回してきた、、
そこそこそれなりに生きてこれたが全くパッとしない、、自分の意見を出すとどーも浮く、、
浮くなら黙っていようってことになる。
40歳代から妄想性障害が出ていた母とバリバリのサラリーマンで今で言うなら言葉の暴力持ちの父、、2人は老後という時期に全く適応できず完全に関係性は崩壊していた、、私が中に入ることでなんとかやっていけるかと思っていたが、役所に相談に走ることになった!
介護サービスの利用で助けてもらいながら、、、それでも拗れた関係性は拗れたまま、、
母78歳、父84歳になり、
母はベッドから自力で起き上がることができない認知症(噛み合わないけど会話はできる)ですっかり痩せ細ってしまった。
父は、母に怒鳴り続けていたが最近ガクガクッと気力落ち(鬱っぽくなった上に元来の酒豪)とともに体力がガタ落ちとなり「情けない・辛い」の寝て起きての日々となってしまった。
社会の中を一生懸命生きてきてなんなんでしょうか? ただただ不足を感じるだけの、ただただ辛い思いを感じるだけの日々が待っているなんて、、!
母の体調が崩れた時、「いつからですか」と厳しい口調で咎めらたりすると、自然に老いていくことすらできないのかと思った。
社会の中で卒なく生きていくこと、、
自分が思い感じることを、社会の中で生き生きと発揮さていくことっていったいどういうことなの?
分からない、、
あーーー 他人や社会の目を気にしない私自身の気持ちがもの凄く苦しくなってしまった。
なんなんだろう??
楽しいって 幸せって 豊かってどういう感じ??
、、、、、
そして
私自身を感じることを、、身体の中で響かせている感情や意識を確認した!!!!
ただただ私の中にあった感情や意識は、暖かな存在だった!!
そこに自分で意識を向けること!それが“愛”なんじゃないかな〜
意識を向けることとは、「どうしたの?」って寄り添う感じ、、決して「何してるの!」って咎めることではない、、
“愛”ってそんなに特別な感情ではないのかもしれませんね!
つづく
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