ナツミとノボルとサクヤさん!
吹雪で木々の姿は見えない。ナツミは、感覚を失いかけている右足をさすった。隣りにいるノボルは、チラチラこちらの様子をうかがっているが、その顔はのっぺりとしてよく見えない。
「恋人のケンタさん……でしたっけ。彼のこと、考えているのですか」
「あたり前でしょう」
ケンタとクミと三人で登山にやってきたが、ナツミだけはぐれてしまった。数時間は彷徨っただろうか。この洞窟を見つけホッとしたところで、奥に居たノボルの存在に気づいたのだ。
「彼らはきっと生きていますよ」
焚火に身を寄せながら、ノボルは言った。
「でもここにきて一カ月よ? 私はもう要らない存在としか思えない」
「きっと助けてくれます。なんのために私がここにやってきたのですか」
何度も訊いた言葉だ。だいたい、厳密にいえばやってきたのはナツミで、ノボルはナツミが遭難する前からこの洞窟で暮らしているのだ。要は浮世離れした変な男なのである。
どこからか食料を調達しては、ごちそう……といっても具のないスープばかりだが、黙って作ってくれるだけありがたい。
「もしかして私、死んでいるの? ここは天国……」
そう言った途端、ノボルの平手が飛んだ。
「なにすんのよ!」
「痛かったでしょう。生きてる証拠です」
頭にきたので、殴り返してやった。ノボルは赤くなった頬をさすりながら
「友だちのクミさんは、どんな方ですか」
と話しをすり替える。
「あなたは人のことばっかり訊いてくる。もっと自分のこと話したら」
「はい、僕には名前と痩せていることしか何もわからないのです。顔も自分ではわかりません。だから他の人がどんな人生を歩んで、何を思って生きているのかとても興味があるんです」
「かわいそうな人。あなたはこれからずっと、ここから出られないの?」
さあ、どうでしょう。
相変わらず止まらぬ吹雪に視線をそらす。
「サクヤさん、次第です」
「ああ、この山を管理している人ね。いつになった来るのかしら……遅すぎるよ」
ナツミはクミについて話を訊かせてやった。私たち三人は同じ会社の同期であること。グラマラスなクミは、会社でも男性社員から特別扱いされている節があること。今回の旅行はクミの父親が持っている別荘に、クミの恋人と四人で行く予定だったが、彼女の恋人がこれなくなり急遽三人で行くことになったこと。
「では今頃おふたりは、僕たちと同じように一つの火を見つめているのでしょうか」
「いやなこと言わないでよ!」
思わず声が荒くなる。こんなデリカシーにかける男と一カ月近くいっしょにいるのだ。
ナツミは足を引きずりながら洞窟の入り口に立った。吹雪が視界をふさぐ。
ああ、白い!
その先に木が茂るのか、谷があるのか、何も見えない。
いや、最初からそんなモノないのかもしれない。
ここには洞窟と吹雪しか存在しないのだ。だからこれ以上足を踏み出せるわけもなく、一生このまま陳腐な洞窟で朽ちていくしかない。
「助けて!」
白い世界に向かって叫んだ。
「無駄ですよ、私もあなたが寝ている間ずっと叫んでいました。でも誰も気づきません。ここには吹雪しかいないのです。……私たちは見捨てられたんですよ」
「じゃあ、ここで死ぬの? 私、生きたい。東京に戻って仕事もしたい。小説家にまだなれてないし、子どもだって欲しい。こんなんじゃ、死ぬに死ねないよ」
「僕は何もないから、あなた方がとても羨ましい」
「……じゃあ、いっしょに出ましょう。出る方法はあるはず。ふたりで探せばみつけられる」
ぼんやりとしたノボルの顔を見上げながらいった。
「今さら都会に行くなんて……無理ですよ。おひとりで行きなさい」
「……」
「僕には顔も履歴もありません。もっと愛して欲しかった。ただそれだけなんです」
寂しいこと、いわないで。
「私が小説家になったら、まず最初にあなたの顔を描いてあげる。とてもイケメンにして、やさしいスポーツマンにするの」
「すばらしいですね」
「そうね……元野球選手の弁護士役がいいかしら」
「過去のある寡黙な男も捨てがたいです」
「自分で言ってるし」
ふたりはわらった。三日前にも同じような会話をしていたけれど、それでも笑っていられるだけ幸せだ。きっと明日はくる。
「サクヤさん! 私たちはここにいるよ」
洞窟から外に出て叫んだ。冷たい吹雪が体中に纏わりつき、ナツミの声は呆気なく消えていく。
「死にたくない。ノボルさんといっしょに生きて脱出する!」
洞窟のふちまで出てきたノボルも叫び出した。
「脱出する!」
いつの日か、作家(サクヤ)さんが、彼らを想い出して命を吹き込んでくれるまで、ふたりは望みを捨てずに生き続ける。 (了)
(なつくまより)
※最後まで読んでくださって、ありがとうございます。今後の参考のために……
どの辺でサクヤ=作家であることがわかったか、教えていただけたら嬉しいです。
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