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受動的な時間の贅沢: 決断を手放す心地よさ

金曜日は私にとって定期健診の日だ。
毎回、病院に行くと決まった手順に従い、検査を受ける。
採血、心電図、エコー、肺機能の検査が順に行われ、私は受付表に書かれた番号に従って、各検査室を巡る。名前を呼ばれ、フルネームと生年月日を伝え、言われるままに指示に従う。「顎をここにのせて」「手はこうです」「両足、挟みます。2回締まります」「動いたり喋ったりしないでください」などといった指示に対して、私はただ「はい」と返事をしながら行動する。

このように、言われるがままに行動することには、独特の心地よさがある。自分で決断する必要がなく、ただ指示に従って淡々と進んでいく。
このプロセスが、なぜこれほど楽に感じるのかを考えてみると、その理由は「受動的であること」の特性にあるように思える。

まず、受動的であることは、決断や選択の負担を軽減する。
日常生活では、私たちは絶えず何かを選び、決断しなければならない。どの服を着るか、何を食べるか、どの道を選んで目的地に向かうか。これらの選択は、時には小さなものに見えても、積み重なれば疲労感をもたらす。
その点、指示に従って行動することは、決断の責任を他者に預けることになるので、心の負担が軽くなる。

また、指示に従うことで、結果を予測する必要がなくなる。
自分で選んだ行動には、常にその結果に対する責任が伴うが、他人の指示に従う場合、結果に対する不安やプレッシャーも軽減される。これは、手続き的な作業、例えばスマートフォンで何かの手続きをする際に「次へ」「次へ」とボタンを押し、ただ進んでいくだけのような感覚にも似ている。
何も考えずに、ただ言われた通りに進むことで、無駄なエネルギーを消耗することなくミッションを完了することができる。

さらに、受動的な行動には、ある種の「流れに乗る」感覚がある。
自分が全てをコントロールする必要がなく、状況に身を任せることで、安心感やリラックス感を得られる。この感覚は、普段の忙しい生活の中で、何かに身を委ねることができる瞬間を提供し、心を休める効果があるのだろう。

言われるままに行動し、指示されたことだけを淡々とこなす。
診察の日は、私にとって何も考えずに「受動的でいること」の快適さを味わえる時間となる。受動的であることは、決して消極的なことではなく、今の私にとって、むしろ心の安らぎを得る一つの方法と言えるのかもしれない。




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