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生きる意味:どうすれば一層良くなるかを考えよう

生きる意味について深く考えることもなく、私は今日まで歩んできました。なぜなら「明日は必ずやって来ない」と物心ついた時から思っていたからです。
もちろん、時が過ぎ、大人になれば、真剣に「自分とは何か?」「なんのために生きるのか?」と哲学的に考えることも、思い悩む日々もありました。

考えても仕方ない事や、答えのない難しい課題に立ち向かわなければならないこと、様々な困難は、生きていれば誰にでも起りうることです。
しかし、そんな私の人生の折々に、この言葉が生きる意味を教えてくれました。

「どうすれば、一層良くなるかを考えよう!」

私が生きた時代背景から考えると、(※私の場合ですが)「学校へ行くか?」「行かないか?」という選択肢などありませんでした。「学校へ行かない」なんて答えがある事を知らなかったので、仮病という高度な演技力を身につける事ができました。「生きる」「死ぬ」であれば「生きる」が答え。という事は、どうせ生きるのであれば、「生きるを楽しむ」しかないのです。学生として部活に励んでいた時期も、社会人として「忙しい!」が口癖だった若い頃も、母親になって長男が「生んでくれなんて頼んでない!」とドラマのようなセリフを吐いて衝撃を受けた瞬間も、「どうすれば一層良くなるか?」と、脳が質問してくるのです。

「どうすれば一層良くなるか?」と。

その時々に、どうすれば、できるのか?良くなるか?と考えながら生きているうちに、気が付けば人生の半分以上が過ぎていました。

ある日、「はて?」と、いつも脳が聞いてくる質問は、どこから来るのかと考えてみたことがあります。実はこれ、小学校時代の全校の「今月の目標」であったことに辿り着きました。50年以上前の小学校の今月の目標が、こうして一人の人間に影響を与え続けていることに、言葉の持つ力を感じています。

「教えて…教えて・・・これはいったい・・教えてくれ、“物事はどうして」子どもは40000回質問するより引用”

今、noteを書きながら、「漠然と生きない」の意味が分かったような気がしています。


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