RPGのバトルは何故みんなで魔王をボコるのか
皆さんゼルダやっていますか?私なんかやりすぎてnote放置状態です。やはりRPG最高です。ゼルダはRPGじゃないという意見もありますが、やっぱり話題のトピックなんで記事に名前を出してみました。さて皆さんはゼルダだけじゃなくて他のRPGもやっているかと思います。原神とかペルソナとかゼノブレとか、当然ドラクエとかFFとかもみんなやっていると思います。さて皆さんはRPGをやっていてこんな事を思ったことはありませんか?
『なんで複数の人間で一人の魔王をタコ殴りしているんだろう』
こういう疑問を皆さんは子供の頃素直に卑怯だと思ったでしょう。私も卑怯だと思ってバトルの時パーティのメンバー外して一人で戦ってタコ殴りにされました。まぁその後でパーティメンバー全員でボッコボコ中のボッコボコにしてやりましたが。だけど皆さんも大人になるとこれはゲーシステム上の都合なんだと考えるわけです。一人だけでプレイするRPGはなかなかに寂しいものがあります。私も先日まではそう思っていました。だけど私は気づいてしまったのです。複数の人間で一人の魔王をボコボコにするのはシステムじゃなくてストーリー上のちゃんとした意味があるんだって。
JRPGは基本的に友情努力勝利の少年ジャンプ三点セットで成り立っています。友情努力勝利はJRPGを支える三本柱なわけです。JRPGにおいてレベルアップするというのはこの友情努力勝利もレベルアップしていくのです。だからみんな一人の敵をみんなで殴って友情を鍛え上げているわけです。だけどこの私の主張にたいして、それは言葉のあやだ。実際主人たちのやっている事はいぢめだという反論も当然あるでしょう。しかしです。そう言う前に考えてみてください。何故その一人の魔王には仲間がいないのでしょうか。自分を複数で襲ってくる人間には当然仲間を呼んで対抗すべきでしょう。ここなんですよ。ここにRPGのテーマが全て集約されているんです。この魔王には真の信頼関係がないんですよ。だから力を誇示して部下を支配しようとしていたんですが、そんな力の支配じゃ誰もついてきません。部下たちだって魔王が城の奥深くまで攻め込まれたら助けなんかしないでしょう。強いと思っていたら弱かった。やっぱり魔王にはついていけません。更生してちゃんとした人間になります。なんてスライムはただの若者になってますよ。現実だってそうですよね。偉い人はみんなコミュ能力がある。いくら優秀な人間でもコミュ能力がなかったら出世なんてできません。RPGにおいて勇者と魔王を分けるものってそれなんですよ。コミュ能力があってリア充な奴と優秀だけどどうしようもなくコミュ能力が奴じゃどっちが偉いかなんて一目瞭然です。つまり勇者とは人を集められる人なんです。一方魔王は人を集められない。彼のために死のうなんて人は誰もでてこない。だから主人公たちが魔王を複数でボッコボコにしようがそれは卑怯でもなんでもなく友情努力勝利が力の支配に勝つっていう圧倒的に強いメッセージなんです。主人公たちのレベルが高くもはやただのサンドバッグ状態になった時このテーマの美しさが一層はっきりするでしょう。友情努力勝利で数を集めればどんな強い魔王にも勝てます。現実において強さとは能力じゃない。数を集めることが何よりも重要なのです。皆さんもRPGをやる時はそれを噛み締めながらやりましょう。
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