ガルクラ第12話 仁菜の「知らない」がゆえの強さと危うさ



 第12話では、これまで描かれてこなかった仁菜のある側面が、それとなく描写されている。それはある意味、彼女の弱点と言ってもいい側面だ。

 仁菜は、理想と現実の衝突を、本当の意味ではまだ経験していない。学校で現実と衝突したときと、今とでは明らかにちがっていることがひとつある。それは今では彼女が、桃香の歌を歌うという理想とともにあるということである。この理想と現実が実際に衝突をきたすという点は、これまでの話のなかで、仁菜においては実際的な問題としては描かれてこなかったように思える。

 プロとして打ってでるとき、その問題が頭をもたげてくる。第12話開始時点での仁菜は、そのことをまだはっきりと身をもって実感してはいない。彼女は「知らない」。

 こういった、彼女の純粋さゆえの危うさが、第12話のいくつかの箇所に、うかがえるように思える。このページはその痕跡を追ってみようとしている。それによって、井芹仁菜というキャラクターを、より立体的にとらえることができればと思う。

「知らない」がゆえの強さ

仁菜「もしかしたら、本当にそうだったのかもって。こっち来てすぐのとき、桃香さんにいろいろ教えてもらったじゃないですか。あのとき、すごいショックだったんです。あたし、なにもできていないんだ、なにも知らないことに気づいてなかったんだって
桃香「すこしはできるようになったか?」
仁菜「なりましたよ! ギターはまだですけど」
桃香「本当によかったのか?」
仁菜「そう思えるようにするんです。みんなで、これから
桃香「はいはい」

ガールズバンドクライ 第12話 空がまた暗くなる

 あらためて仁菜は、自分が「なにも知らないこと」について言及する。ここの一連の台詞には、彼女の強さと弱点が同時にあらわれている。信念ひとつしかなくとも進んでいこうとするひたむきさは、ここに至るまでにも何度も周囲を救ってきた、仁菜自身の核とも言え、強みとも言える部分である。

 それは裏を返せば、なにも知らないからこそ、それだけの信念を持っていられた、ということでもある。たとえば、第8話を思い出そう。あのときはダイダスの面々の登場もあって、そのことについては深入りされなかったけれども、あれだけの強い言葉を言えたのも、こう言ってよければ、桃香の葛藤のすべてを知っていたわけではないからこそだ。

 それは、現実にまだ揉まれきっていないからこそ言えた言葉でもある。上の引用の台詞においても実は、「なにかを知らないこと」、それが彼女のひたむきさを支えている。たとえ彼女自身が自分の無知を自覚して、引け目に感じているとしても、このことは否定できない。

仁菜の「知らない」桃香の葛藤

仁菜「なんかさ、楽しいね」
智「なに?」
仁菜「今、みんなで自分たちの曲を作ってるんだよね。それが、もうすぐ誰かのところに届くって思うと」
智「そんなに簡単じゃないわよ」
ルパ「届けたくても、誰も手にしてくれないこともありますから」
仁菜「大丈夫ですよ。(自分の肩に頭を預けた桃香を見やりながら)だって、こんなに一生懸命つくってるんですよ。大丈夫
(ぼうっと薄目をあけて、仁菜の声を聞いている桃香)

同上

 桃香の頑張りを信じる仁菜と、それを、ぼんやりとした意識のなかで聞いている桃香。一方で、言葉と二人の体勢だけみると、仁菜が桃香を支えているという関係をほのめかしているようにも見える。けれどもそこに、仁菜の声をたしかに聞いている桃香の描写が入ることで、この二人の体勢が意味するものは複雑になってくる。

 ここで、仁菜の信念の吐露を桃香は知ってしまっている一方で、そのことを仁菜は「知らない」状態にあることがわかる。仁菜は桃香が眠っていると考えた上で発言している以上、彼女にとってそれは自分が桃香の背中を押しているという信念の単純な吐露でしかなかったはずだ。だがその吐露は、聞いてしまった桃香の側ではどう受け取られるだろう。桃香にとってそれは、守らなければならないものとして感じられるはずだ。

 こうしてここで、二人は微妙にすれ違う。仁菜は桃香の背中を押しているつもりでいる。だが他方で、桃香はそんな仁菜のひたむきさそのものを守らなければと感じるだろう。仁菜は桃香の支えになりたい、そしてそうやって支えてくれる仁菜を、桃香のほうでも支えなければと思っている。そして仁菜のほうはそのことには気づいていない。ここでも仁菜は「なにも知らないことに気づいていない」状態にある。

 この二人のあいだのズレは、後の場面でほんのすこし示されているように思う。次の引用に移ろう。

「知らない」がゆえの危うさ

桃香「怖いんだよ。曲を作ることに真剣になればなるほど、あの日の自分が、不安がよみがえるんだ。また失ってしまうんじゃないかって」
仁菜「知ってました。桃香さんが苦しんでるの」

同上

 確かに仁菜は桃香が苦しんでいるのを知っている。けれども、すべてを知っているわけではないように思う。上で引用したように桃香が自分の言葉を聞いていたことを仁菜は知らない。だからこそ彼女は、桃香の「失ってしまう」かもしれないもののなかにある自分自身の重みに気づいていないのではないだろうか。仁菜は、桃香の「失いたくない」という気持ちのなかで、自分の純粋なひたむきさ、桃香を奮い立たせたそのひたむきさが、どれだけの比重を占めているかに気づいていないんじゃないか。

 だからこそ仁菜は、面と向かって桃香を勇気づけることができるのだ。ここでもまた仁菜は、桃香の苦しさのすべてを知らないからこそ、彼女を叱咤できている。「知らない」ことが、仁菜に力を与えている。

 また、仁菜は桃香の「嘘」を咎めているけれども、ここで起こっているのは、仁菜の嫌う「嘘」による隠ぺいではない。そもそもそれを「知らない」しそこにアクセスする術がないという風にして、隠れてしまっている。「知らない」がゆえに隠れてしまっている。「嘘」ではないから、仁菜の意識をすり抜けてしまう。

 この説得の場面も含め、この第12話を通して、なんだか楽しいと言ったり、ロックの神様に神頼みしたり、自分たちの歌が誰かに届くと無根拠に信じている姿勢は、すこし危うい感じがしないだろうか。仁菜のひたむきさが皆を引っ張っていくのはたしかなのだが、彼女は楽しさの外側を見落としているように思えるのだ。その「知らなさ」は強い。けれどもどこか危うい。

 そして力を与えていた「知らなさ」が、この第12話の結末において、仁菜を刺してくる。「運命の華」が103回しか再生されなかったという数字の衝撃は、「知らない」がゆえの強さの裏側にあった、仁菜の危うさを露にしているように思う。

おわりに

 以上、ガルクラ第12話を、仁菜の「知らなさ」についてを手がかりにして探ってきた。それを通じて明らかになるのは、仁菜における「知らなさ」がいかに表裏一体に強さと弱さを秘めているか、ということだ。

 桃香の歌はまちがっていないというそのひたむきな思いはすごいし、その思いのおかげでトゲトゲもここまでやってこれたのもまちがいない。けれども、彼女の信念はまだ社会の荒波にもまれてはいない。そして彼女自身、そのことに気づいていない。これまでは原動力の一部を担ってきたその「知らなさ」が、一転して彼女の弱みとして露呈するところで、第12話は終わっている。

 この文章が書かれている時点では、まだ最終話は放映されていない。だから仁菜のうけた衝撃がどんな結果に至るのかはわからない。たぶん、この作品のことだから、最終話ではこの挫折も、鮮やかにわりとあっけなく乗り越えられると思う。

 とはいえ、その後どんな成り行きを経ていくにしても、自分が認識している現実の外部からの衝撃は、たしかに胸に刻まれるものだ。衝撃それ自体には「嘘」も「本当」も「まちがっていない」もない。それが挫折として終わるのか、バネになるのかは、本人がそれとどう向き合うかにかかっている。「嘘」も「本当」も「まちがっていない」も、この衝撃への向き合い方次第から、生じてくるのだろう。


ガールズバンドクライの記事は以下にまとめてあります。



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