恩師への手紙
私には忘れられない恩師がいる。
中学校の三年間、女子バレーボール部で
お世話になった顧問の先生だ。
少し前に、芸能人がお世話になった先生に
会いに行く番組があり、
それを観ていつも思い出していた。
私は姉の背中を追うように、
小学生のときからバレーボールを始めた。
当時は一度も勝てた記憶のない
超がつくほどの弱小チーム。
中学校に入っても続けるつもりはなかったが、なんでだったか忘れたが
女子バレーボール部に入部をした。
先生のことは小学校の頃から知っていたし、
姉は卒業していたが元女子バレーボール部。
なんとなく流されるように入部した。
入部すると、経験者だからと
1年生のときから学年の責任者になり、
3年生が卒業すると、2年生に混ざり試合に出ることになった。
経験があったからといって、
上手かった訳では無い。
変なクセがついていて、寧ろ下手。
運動センスだって人並みだし
スパイクは跳べない、
レシーブはまともにセッターに返せない、
根性もない。
先輩のチームに迷惑をかけないように
必死だったけど、
『怒られる役』としてコートに立っているとしか思えなかった。
ある日の試合、先輩と先生が揉めて試合を放棄。先生に告げずに会場から全員で帰った。あの頃は先輩の言うことは絶対。
帰宅して数時間後、顧問からの電話。
学校に呼び出され事情聴取。
翌日から先輩と先生は
一緒に練習しなくなり、
一年生は体育館を使えず先生と常に外練習。
板挟みとはこのことかと、
人生で初めて悟ったのだと思う。
きっかけは忘れたが、
先生と先輩方は和解して、
再び合同での練習の日々が戻り、
あっという間に先輩方は引退。
本当の厳しい日々が始まった。
先生の言うことは一言一言が厳しくて、
試合に勝てても褒められない。
練習だけでなく、挨拶、生活態度、全てみられていて、ただただこわかった。
先生に指示をもらいに行く時
「お話中失礼します」
「前を失礼します」
言えなくて何度も怒られた。
あの時はなんでそんなに怒られなきゃいけないの?!とか思うけど、
あの時教えてもらって本当によかったと
心から感謝している。
学校で自主的に掃除をする時間があり、
先生からは
「人の嫌がることを進んでやりなさい」と常々言われていた。
きっと見てくれている人がいるからと。
中学校の三年間、ほぼ部活の記憶しかない。
楽しい記憶というよりは、
辛くてしんどかった記憶。
怒られた記憶。
バレーボールは嫌になって、
高校では続けなかった。
先日、数十年ぶりに
女子バレーボール部の仲間と集まり
思い出話に花を咲かせた。
厳しかったよね、
今となってはあの言い方はアウトだよね、
とか、みんな当時のことをよーく覚えてて、
笑いながら文句を言いまくった😄
中学生時代から約30年が経ったのに
記憶は鮮明なままだ。
私は、これまでの人生の中で
大きな壁が立ちはだかったとき、
迷って悩んでいるとき、
先生の言葉を思い出した。
人の嫌がることを進んでやれていたか?
自信は今もない。
でも、不器用なりに真っすぐ生きてきた。
そして、とにかく周りの人に恵まれて
ここまで生きてきた。
多分、これからもそうだと思う。
年賀状さえも送らなくなっていたが、
どうしても何か伝えたくて
先生に手紙を書いた。
これまでのことをあふれるままに書き、
封をして投函した。
返事はまだない。
でも、返送もされてきていない。
きっと先生のもとに届いたのだと
信じている。
先生は中学校で校長先生になったと聞いた。
きっと忙しい日々を送っているのだろう。
今も現役で中学生たちと向き合い、
真っすぐに何かを伝えているのだろうか。
何千人という生徒の中の一人かも
しれないが、
私にとってはたった一人の恩師。
出会えてよかったと心から感謝している。
次回の女子バレーボール部の会で、
どうか直接お礼が言えますように。
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