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母の日に思うこと

今日は母の日。私は父と百均に出掛けて、遠くの実家で畑仕事をする母のために、冷却グッズを買った。来週父が実家に行く用事があるので、その際に渡したいと考えている。


母と実家の畑と田んぼ

祖母がずーっと、長い間守ってきた畑。山に近いこともあり、野生動物に食べられたりすることは日常茶飯事だ。でも、それにも負けずにコツコツ育てた野菜の味は格別で、毎年家族でお腹いっぱいいただいている。それを、祖母の代わりに初めて耕す母は、電話するたびに「今日はこれを植えたよ」「頑張ったんだ」と話してくれる。また、今年はこれだけじゃない。近所の人と協力しながら、家で所持している田んぼで米を植えるとのことだ。祖母の家の地域は近所の人々も親戚同然の扱いになっているので(本家、分家のゴタゴタがある)、わからないことがあっても聞けるのが利点だ。私は一人っ子で、将来母のように家を継ぎたいと思っているので、一連の出来事が終わったら母に色々聞いてみようと思っている。

母がいないからこそ

先述した通り母は実家の後継ぎだ(父は婿)。それだからなのか?母は普段家では自分が家のことを全てやらなければ、という使命?を勝手に背負っているように感じる。もちろんその必要はない。だから、「棚を取り付けたい」「シャンプーを変えたい」などと言っても、いつもは「金がかかるから」「必要ないから」「面倒くさいから」と、なかなか許してもらえない。前は「ちぇ、ママのけち」と思っていたが、母が家を離れてから、やりたいと思っていたことが実現したことに加え、母がどんな思いで過ごしていたか、少しわかった気がする。
取り付けるための棚も買ったし、シャンプーも取り替えた。たくさん掃除もした。自分たちが本当に必要だと思っていたことだから、自由にできてとても良かったと感じている。
そして、少しわかった母の思い。母は強気なように見えて、実は心配性である。これってどうなんだろう、と考えているので、先述の使命感もプラスされて、半ば自分の頭の中だけで「NO」と答えているのだろう。だから、次母が家に帰ってきた時は、「心配しなくていいよ」と話してみる。安心できる家庭が一番だから…

「勉強やれ」の矛盾

この間帰ってきた時も、母は私に対して、朝から「勉強はいつやるの」「本当に終わるの」と問い詰めてきた。私は学校の授業には参加せず、アプリを使って学習しているので、自主学習に疑問と不安を抱いているのだろう。
これも勝手な思い込みから来ていると私は推測する。父のことも、実家のことも、娘(私)のことも、全部自分がやらなきゃ、と考えすぎているから良くないのだ。
私も、「今日はこれくらいの量、勉強するぞ」「今日は夕方にやろうかな」と毎日考えている。それに「勉強やれ」というふうな趣旨の言葉を投げつけると、せっかく考えていたのに、まるでかけっこで追い越されたような気分で、モチベーションが下がる。個人主義のような話になるが、いくら親子でも、いくら夫婦でも、一人一人自分が考えていること、やるべきことは、必ずしも他人の憶測に合っているとは限らない。

家事はワンオペタダ働き

母は料理(下手くそ)、掃除(下手くそ)、片付け(下手くそ)、洗濯、買い物(ルーズ)などの家事のほぼ全てを一人でこなしている。暇な時「ねぇねぇ」と話しかけても、どこか他人事な相槌が返ってくるのは、多分これらに追われているからだろう。
私も、ちょっとの料理、風呂掃除や米とぎ、洗濯物干しなどの家事を担当しているが、その一つ一つを切り取っても結構大変だ。父は料理、洗濯、掃除などをメインに担当している。二人でやればかなり楽だし協力しあえるので楽しい。
だから、ワンオペタダ働きの現実を変えたい。母が帰ってきた頃には、「手伝うよ!」と、私も一部の仕事を担当して、みんなが過ごしやすい家庭にしていきたい。

噛み合わない話題、どうする?

私は数年前に受けたWISC-IIIで「言語理解」の指標が、平均より高い130ちょっとと診断された。この数値が示す通り、私は相槌や仕草などの「非言語」より、言葉の「言語」の方が得意だったりする(だからドラマ、映画、漫画が苦手なのだ)。病院の先生曰く「非言語の指標も平均よりは高いんだけど、言語がそれよりも高いから引っ張られて苦手っぽくなっちゃってるんだよね」とのこと。
これは父にも見られる傾向で、父の具体的な数値はよくわからないものの、私と父はよく話が合う。
対して、母は、おそらく言語と非言語がバランスよく平均くらいになっていると思われるので、どうしても私の目線だと母の方が劣っているように感じてしまう。しかし、非言語の面では母の方が(多分)得意なので、言語と非言語の一方通行で双方が「???」となるような会話ばかりだ。
これは生まれつきの脳みその問題なので、根本的な、完全な解決がほぼ不可能といえよう。
しかし、自分より劣っているから、自分より優れているからと、母のことを否定してはいけない。母にも母の考えがあって、それを私がうまく読み取れないだけだ。
例えば会話をしていて、言葉でわからないことがあっても、「察する」能力や「その場のノリ」=非言語でなんとかなるというのが、母を含む多数の人間の強みだが、私(と父)にはそれがイマイチわからない。ほとんどを言語で処理してしまう。2タイプの人間が一つの核家族の中に存在しているので、話をするときは結構苦戦する。
ここについてはまだまだだ経験不足なところがある。さまざまな人と話しているうちに、いずれわかってくるだろう。

おかーちゃんいつもありがとーう
✌️


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