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子持ち、共働き、だけど私はやりたいことを諦めずに生きたい

文学フリマに出るために書いている小説の2本目が書けた。
この小説を書くために参考にしたゲームがあり、小説を書く傍らでコツコツ進めていた。そしてそれもクリアしたので一呼吸置こうと思い、映画や小説をインプットしている。

私が一人になれる時間は「子供が寝ている時間」「旦那が休みの日」「母に子供を預けられる日」なのだが、すべてが自分だけではどうこうできない。
子供はいつどれだけ寝てくれるのかわからないし、子供を見ておいてもらうのは旦那にも母にもお願いしなくてはならない。
こういう状況で小説を書くのは結構、気合いが要る。

産休に入った頃から、現実的に小説家になることを考え始めた。
未来はまったくわからない。
フルタイムで働いて、子供もいて、しかもできれば子供はもう1人ほしいな~なんて考えている私のどこから執筆の時間をひねりだすのか、いまは全くわからない。
だけど「なりたいな」と考えていた自分から、「書かないと」にシフトした自分をもう見失いたくない。
書いて、書いて、書いて、賞をとる。
何年かかるかわからないけれど、何歳になってもなれる素敵な職業、それが小説家だ。

何年かかるかわからないことを追い続けるのは大変かもしれない。
だけど、いまとても楽しいのだ。
自分の書ける量が増えてきた。作品自体の文字数も、1日で書ける量も。

ランニングみたいなもので、やり続けることを習慣化するまでが大変なのかもしれない。習慣化してしまえば、やらないほうが気持ちが悪い。

頭の中を言語化することが楽しい。書きたい。
映画も観たい、音楽も聴きたい、ああ時間を…もっとください…

今の生活リズムが崩れる日がきっとくる。
今はまだ育休中なので子供がおとなしければ執筆の時間が取れる。
だが今後、子供は成長し、私は復職し、今の何倍も忙しい日々を送るだろう。それが少し怖い。
人間は変化を恐れてしまうし、つい悪いほうへ考えてしまう。

だけど、たった33年ぽっちでわかってきたことは、
「人生案外なんとかなる」ということだ。笑
こう思っている自分を信じるしかない。

結婚、育児、共働き、なんやかんや、、、
人生の時間を誰かと共有すると、自分の自由にできる時間は減る。
こんなことは誰だってわかるし、誰だってこのネガティブな思想に陥るけれど、だからなんだと押し切りたい。
私は結婚も、育児も、共働きも、自分で選んだ。
それに、自分の夢を追うことも選んだ。
何故なにか諦めないといけないのか。諦めなくていいじゃないか。
全部全部経験してから、死にたいよ。

90歳くらいまで生きて、思い返したい。
「いっぱい経験したな、諦めなくてよかったな」って。
少なくとも「諦めなきゃよかったな」と後悔したくない。
人間は必ず死ぬ。死ぬために生きて、死に向かって生きている。

死ぬときも「案外なんとかなったなあ」って言えたらいいなあ。

さて今日も執筆、執筆。。。

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