書棚を見ながら
滞在中の京都の母の実家で1日中テレビを見ている。
タモリさんの「笑っていいとも」と小堺一機さんの「ごきげんよう」無き今、
坂上忍さんの「バイキング」が同時間帯に流れているが、
平日5日間まともにこの番組を見ていると心がささくれだってくる。
「どうしても敵を作りたい」、その根拠による報道内容の陰湿さは今や生粋の京都人の「いけず」を遥かに上回っている。
思えば「ごきげんよう」の後はドロドロの昼ドラが流れていたはずで、
かつてテレビの中の不倫は国民の中傷対象ではなく、罪無きメロドラマであった。
京都は日本一コーヒーの消費量が多い。
恐らく「茶の湯」文化が茶からコーヒーに移行しただけで、
コミュニケーションツールとして此処にはコーヒーがある。
必然的に喫茶店で読む書籍も充実していて、
町の書店にも必ず文化本の棚がある。
四条烏丸のジュンク堂閉店は衝撃だったが。
(本音を言えば、あそこは立ち読みしやすいがレジが遠いという商店としては致命的な内装だったと思う。本の売上低迷とは微妙なる無関係)
最近は、私が患う双極性障害2型に関するマンガエッセイが増えている。
この人に説明しづらい症状を代弁してもらえるのは有り難い限りである。
尚、メンタル疾患は芸能人の公表が社会的に非常に良い影響を与えると思っていて、
パニック障害理解にあたり中川家の剛さんとキンキの剛さんが偏見甚だしい中、公表したのは大変な功績だと思っている。
さて、あらゆるメンタル疾患の体験談を綴ったエッセイで気になるのは、
ほとんどが元会社員ながら、結局、退職して再就職に至っていない結末が多々あることだ。
・やれること
・できること
を天秤にかけると、まずフルタイムの会社員は難しい。
(有名な「ツレが鬱になりました」のツレさんも、結局、会社員としての復帰はなかった)
・やれること
・できること
を考えているうちに
・やりたいこと
という人生の大命題をウッカリ手に入れてしまうのが、メンタル疾患で退職を余儀なくすることになった人の特徴に思う。
書店にいるから当然なのだけど、
メンタル疾患に陥った人が描く本の結末は、
皆、「作家として生きる」という小学生の将来の夢を体現する…という極端なものだ。
と、いう私も電話占い師になってしまった。
ある占いの考え方では30歳を過ぎたあたりから、
生まれる前に決めてきた宿命の仕事に向かって転機が起きると言われている。
父が自営業だったのでいつか起業するのだろうと思っていたが、
節税で昨年、うっかり会社を作った。32歳の私。シャチョー。
そして、私が広告業界の端に居た時は考えられなかった、
電通の赤字。
世の中が変わっていく。
今、私は双極性障害2型の「躁状態」の爆発的エネルギーと占いの的中率の関連性について調べている。
(こんなものは昔から解明されていて、
巫女になれば神格化され、
一家の恥とされれば狐憑きとして座敷牢に入っていたまでだ。)
幸せはしみじみと怒りを羽織り、
Twitterで同志と語る昼下がり
国外観光客のいない100年に1度の京都にて。
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