仏の教えを教えた人の教えを教える
法然さんのおっしゃることがよく解らず、
そもそも「これは庶民に理解させる気がなかったのではないか」と段々、ふてくされている。
日本人が日本語で書いているにも関わらずほぼ漢文で、書き下し文が必要なのはどういうことか。当時の識字率からしても、信仰が特権階級にあるように感じる。
特に教育を受ける機会がかなり遅れた女性なんてほぼ対象にしてないのではないか。いや、それでも「南無阿弥陀仏と言っていれば成仏できる」、それより温かく優しい教えは無い。こまけぇことはいいんだよ、が当時としては大