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『映像作品』としての劇場版Fate HF III.spring songについて語ろう

※この記事はFate/stay nightの原作PCゲームなど、Fateシリーズ全般のネタバレを含みます。

 言わずと知れた名作Fate/stay night(以下SN)の最終ルートHeaven's Feel(以下HF)の劇場版、その最終章を観てきました。
 一回目と二回目は公開日に、三回目は少し時間を開けて木曜日に。

 記事を書くのであれば早めが良いだろうとは思っていたのですが、如何せん文章量が多くなってしまったのと他のコンテンツの発売日とも重なってしまい(ぬきたし2アペンド スス子ルート、GR@DATE WING 06)、一週間が経ってしまいました。

 一応公開されて時間も経ちましたので、ネタバレ規制は無しで書いていきます。原作はPC版とvita版をプレイ済ですが、HF第一章を観る前に一度プレイしてからは触れていないので、間違っている部分があるかもしれません。始めにご了承をば。

 ちなみに、来場者特典の描き下ろしビジュアルボードは三回中三枚とも桜でした……なんでさ。

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 ちなみに、この記事ではタイトルにある通り映像作品としてのHFについて語っています。
 これはHF自体の考察やら感想やらは既にPC版が発売された頃から沢山の人によって語られていること、および原作のHFと劇場版のHFは物語としての性質が少しばかり異なっているのが理由です。

 なので、映像化するにあたって再編集や新規の描写が追加されたシーンや、ゲーム版では描くことができなかった部分、映像化されたからこそ描くことができたシーンについて触れていければな、と思います。



洗練された『劇場版』Heaven's Feel

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 とまぁ先ほど色々書きましたが、まずは少しだけ前書きのようなものを。

 今更語るまでも無いですが、原作のHFルートはひたすらに長いです。
 FateルートとUBWルートが束になっても太刀打ちできないくらいには長い。

 これが原作におけるHFルートが不評な理由の一因でもあるわけですが、劇場版HFは劇場版三部作なので、作品として描くことのできる時間は限られています。そのため、必要な部分以外は沢山削ぎ落とさなければなりません。
 それは、TVアニメ版UBWが1時間の話を何度か挟んだ上で26話必要であったことからもわかることです。
 それ以上に長いルートをもっと短い時間にまとめなければならないわけですから。

 しかしながら、削ぎ落としてしまってはいけない部分である、登場人物たちの根幹をなす過去や、HFルートが担当する『裏のFateの物語』として必要な情報はしっかりと描写され、必要ながらも冗長であった展開はしっかりと再編集することでよりわかりやすく、テンポよく描写されていました。

 前者は言峰綺礼、間桐臓硯(+遠坂永人&ユスティーツァ)、イリヤの部分で、後者は士郎と綺礼の共同戦線などです。

 逆に言えば、説明を省き、言葉ではなく映像によって視聴者に理解を求める部分も多かったなとも感じました。
 凛のペンダントが割れたシーン、士郎や桜の力の代償や彼らの肉体の状況(凛の代償に関しては作中で相対する桜に悟られてはいないので描写としては正常に振る舞っているあの状態が正解)、海外旅行と士郎の復活の理由など。

 それは、第一章、第二章も同様なのですが、今作は今まで以上に展開が速いので、説明不足に感じやすくなっていました。
 なので、一部説明不足である、という点がこの映画の唯一の物足りなかった所でしょうか。ゲーム版をプレイしていればある程度は察せれる情報でもプレイしたことの無い人は理解しづらいだろうなぁと少し気になってしまいました。

 特に士郎がアーチャーの腕を使うたび自分というものを失っていくという描写が薄かったなぁというのが個人的にはマイナス。それでも戦い続ける士郎が好きなので。

 しかしながら、先述したHFが不評な理由である、シナリオが長すぎるという問題を解消しているので総合的に見ればプラスかな、と。わからなかった部分があれば今の時代調べるのは簡単ですしね。TYPE-MOON wikiさんには私も何度もお世話になりましたし(間違っている部分が無いわけではないが)。

 個人的にはHFのクッソ長いシナリオは結構好きなんですけどね。あれも一種の魅力かと。


 ここから先はシーン別に書いていきます。
 エピローグ以外は好きなシーンから順に書いていくので前後関係はぐちゃぐちゃです。

シーン1:ついて来れるか、じゃねえ

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「てめえの方こそ、ついてきやがれ────!」

 "────ついて来れるか"というアーチャー、英霊エミヤに対しての士郎の返し、これはアーチャーとしても衛宮士郎としても、作中で屈指の人気シーンですよね。

 原作だと士郎がアーチャーの背中を追い越した直後にバーサーカーとの死闘に移るのですが、映画だと少し違って、追い越されたアーチャーの表情が一瞬だけ映るのですが、これがもうひたすらにエモ! で。

 アーチャーは士郎に対して言葉を放った時とは裏腹に、とても優しい顔をしていました。
 この記事を読んでいる貴方が、これからもし第三章を見る機会があるのならば、ここを注意して見て欲しい。
 慈悲深いような、眩しいものを見るようなそんな優しい微笑みで前に突き進んでいく士郎を見ていたのです。
 その表情が本当に、、

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 もうね、これに尽きる。

 UBWルートでは『例え偽物の願いだとしても、その夢は間違いなんかじゃ──(要約)』という答えを彼ら2人は得るわけですが、『桜の味方をする』という選択をしたHFでは、士郎は掛け替えのない理想を手放した上で別の答えを手に入れるわけです。

 英霊エミヤからすると自分が至れなかった道(たった1人の味方となる、正義の味方を止める)を果たした士郎君の姿を、自分を追い越し追い抜いていく姿を見送るわけじゃないですか。

 そりゃああんな優しい顔になるわって話ですよ。

 願わくば、その答えを得た士郎の姿が英霊エミヤにとって何かしらの救いになればなと思います。
 その願いは間違いのままだけれど、彼にも別の生き方ができたのだと。間違ったまま突き進むだけの人生ではなく、そのような可能性もあったのだと示してくれるものだと信じて。

 そもそもエミヤのBGMが流れただけで涙腺ガバガバになっちゃうのに、あの表情はズルイですよねぇ、三回中三回泣いてしまいました。
 映画を見る前は、たった一瞬映っただけの表情でここまで泣かされるとは思いもよりませんでしたよ。

 原作では、視点がアーチャーを追い越していく士郎なのでこのシーンは当然描写されませんでした。これは映像作品だからこその良さだと思います。

 ちなみにその前後に、アーチャーを取り込んだことで彼の結末を知っているイリヤから『士郎は何も悪くないのに!』と言われるシーンと、凛の問いかけに『大切なものなんだ。最後まで持っておかないと』と返すシーンがサンドイッチされてるせいで破壊力を増幅させているのが憎いところ。二回目以降は特に(前者は深読みかもですが)。

シーン2:VS セイバーオルタ

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 個人的なHFにおけるベストバウトです。原作、劇場版共に。

 私はvita版のHFのOPがはちゃめちゃに好きで、その中でもとびきりVS セイバーオルタ戦は傷つきながらも必死に食らいつくライダーさんや美しい顔を歪めるライダーさんや魔眼ドアップからの引きで出でくるライダーさんがとても好きで、要するにライダーさんが好きなのですが。とにかくあのシーンが大好きでした(見たことない人は見て欲しい。vitaは近々生産終了らしいけど、スマホ版も同じRéalta Nuaだから見れる、、はず)。

 なので映画化が決まってからこのシーンを観るのを一番楽しみにしていました。そして流石ufotableさん。期待通りに期待以上のものを出してきました。

 ライダーさんの戦闘スタイルにあった立体的な戦闘シーン。そして、全力で、傷だらけになりながら戦うライダーさんを、魔眼の重圧を跳ね返し圧倒するセイバーオルタの破壊力。
 対バーサーカー戦が静と動のメリハリをくっきりとつけた戦闘だったのに対し、フィールドをダイナミックに使う戦闘シーンは最終決戦の一つにふさわしい迫力満点のものでした。

 映像描写的な話をするのであれば、
 力を込める際にライダーさんの御御足に走る紫の光線(ブースト?)、ライダーさんの鎖による拘束(霊体化することで鎖を隠し、張り巡らせていたそれを実体化して拘束する的な?)、魔眼の影響が石化ではなく重圧であることを第二章を踏まえた血管を走る描写と石化を跳ね返した描写で表現するなど、解説を挟まず、疑問を与えず、テンポよく戦闘を注視させる工夫がとても巧かったです。

 原作と違って映像では戦闘中に地の文での解説はないわけですから、そういった描写の巧さは目の前の作品に集中できるという点でとても重要です。

 ただ一点、騎英の手綱と約束された勝利の剣の衝突、そこだけが少し気になりました。
 原作だと(確か)騎英の手綱は9割が相殺されて、残りの1割が約束された勝利の剣をわずかに上回るんですが、1割ってレベルじゃないくらいの威力だったなぁと。

 ただ、その1割によって鎧が損傷している描写があったんですよね。これがアゾット剣がセイバーオルタを貫く説得力になる(アゾット剣は、セイバーオルタが万全の時には有効打になり得ないので)わけですが、それだけの損傷を与えるだけの威力と考えると、あのくらいの描写が適切だったのかな? とも思ったり。

 まあ、そもそもセイバーオルタの約束された勝利の剣(所謂エクスカリバー・モルガン)が威力強すぎるって話もあるわけですから、一割でも充分に威力が高いって話でもありそうですね。


 そして、そのセイバーオルタが聖剣を通常ブッパする際に(真名開放ではない)、沖田総司〔オルタ〕の宝具みたいに顔面ドアップからブッパしてたのもGOOD。

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 沖田総司〔オルタ〕といえば、第二章のパンフでセイバーオルタについて語る際に触れられていたことですが、今作にてしっかりとセイバーオルタがHF由来のセイバーオルタとして最後まで描かれていたのはとても嬉しかったです。

 セイバーオルタはあくまで冷徹な王であり、セイバーオルタ、そしてオルタ化したサーヴァントは悪堕ちしたわけではない、という点が徹底されていました。

 オルタはオルタナティブ:Alternativeという二者択一、代案、代替品の意味を持つ言葉で(ちなみに沖田総司〔オルタ〕が初登場する『極東魔神戦線1945』のテーマソングは、その『二者択一』をもじった『二者穿一』)、語源的にもアルターエゴ:Alter Egoに近しい存在というのがわかりやすいです。
 オルタ化は反転状態や別側面の顕現。あるいは聖杯などを使って他の誰かによって鋳造された別人なので、単に『悪堕ち』と表現するのは不適当です。別人である場合も本人ではないのだから同様。
 ……まぁその定義を覆してるのが沖田総司〔オルタ〕なわけですが。
 流石ぐだぐだ世界線(経験値世界線ともいう)。あの奈須きのこすら言葉を濁す。他とは一味違うぜ。

 更に言えばアホ毛の着脱によるオルタへの変化やジャンクフード好きといったHFでは描かれなかった、そしてイメージの崩れるようなネタ描写が無かったのも良かったです(当たり前と言えば当たり前ですが)。
 HFでのセイバーオルタは圧倒的かつ絶望的な敵として描かれるのが正しいと私は思うので。

 あと、何度聞いてもセイバーの最期のセリフは心にきますね。そしてパンフレットで二度目の致命傷を食らいました。おのれきのこ……!

 あとはひたすらにライダーさんが美しかったですね。それに尽きる。
 ライダーさんが血に濡れながらも必死に縦横無尽飛び回る。それだけで映像的価値がかなりあったかと。

 そしてライダーさんの挑発がめっちゃそそりましたね。手を出さない士郎を気にかけるセイバーに対して、『士郎が気になりますか? 手は出しませんよ。私は、信頼されていますので。あなたは……あぁ、そうでしたね』と挑発するのですが(一部誤植があるかも)、その時の表情や浅川悠さんの演技が素晴らしかった。
 まぁ実際は手を出したくても作戦が故、出せないわけですが。手を出したら即BAD ENDなわけですし。

 私『は』と強調しつつ、『あぁ、そうでしたね』と薄く笑い挑発するライダーさん。最高すぎでは?
 しっかり挑発に乗るセイバーオルタもポイント高い。

 ただ、これだけ作画の完成度の高いものを見せられると、スパークスライナーハイを見たくなっちゃうなぁと。士郎の鶴翼三連めちゃんこ見たい!
 UBWの特典でsunny dayをやったのだから期待してしまいますよね。ただまぁ、櫻の夢という存在があるわけですが、、鉄心END? いやあれはBAD ENDじゃん。いやスパークスもタイガー道場案件だけど。

 ただ、櫻の夢と鉄心ENDはsunny dayと違って暖かいENDではないし、絵面的に映像化しても微妙ってところはあるわけだから、人気的にもスパークスライナーハイにならないかなぁと思う限りです。

 ……いやそもそも別ルートが映像化されるかどうかすらわからないんだけどね?

シーン3:イリヤ救出

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 イリヤが桜に降伏し、アインツベルンの城にて軟禁されているシーン。

 そこでイリヤは昔を思い出します。それは雪吹雪の記憶。過去のイリヤは屋敷の中からそれを見つめながら、きっと帰って来ない切嗣を想っていたのでしょう。
 そんなことを思い出しながらイリヤは窓に近づいていく、、からの士郎が窓からドーン!

 綺礼によって窓に投げつけれらた士郎はダイナミック入室を果たすわけですが、その時の呆れ顔というか困惑顔というか驚き顔というか、色々入り混じっているであろうイリヤの顔がとてもかわゆい。

 雪吹雪が舞っていた窓を割って飛び入るのは、ずっと家族を待っていた、ずっと耐えていたイリヤの心の中に士郎君は飛び込んでいく。求めていた切嗣ではないけれど、彼女を家族だと思う士郎が、耐え続けていた彼女の心の壁を壊していくことの暗喩かなぁと考えたり。
 そして雪吹雪なのはバーサーカーとの狼から庇ったシーンにもかかっているのかな、と。
 心を許した彼女の守護者としてのバーサーカーは既に居なくなってしまったけれど、これからは士郎がイリヤを守る、という部分にも繋がりますしね。

 原作でも触れられている通り、士郎は切嗣の代わりではないとお互い思っているし、士郎はバーサーカーの言葉が無くともイリヤを守っていたでしょう。

 けれども、だからこそ、自分の役割を理解し強がっていた、語弊を恐れずに言うと家族が欲しかったイリヤに対して、『自分以外の何かの為に、自分を犠牲になんてするな』や『たとえ血が繋がってなくても〜兄貴なんだ』という士郎の言葉は、きっと宝石のような言葉だったんだろうなぁと。

 自分を犠牲にしても助けたいと思えるほどに。

 まぁ、ゲーム的に言っちゃえばこのイベントがあっても好感度が低かったら助けに来てはくれないんですが。まぁそこは映像作品なので。

 そういう意味ではHFでヒーローしているのはイリヤと凛の姉組ですよね。自己犠牲によって他者を救う。それがわかりやすいヒーロー像であり誰かさんが目指した理想だったわけで。
 HFはその理想を捨てたマスターや目的と手段が入れ替わってしまい願いである救済を忘れたマスター、桜や綺礼といった行為が明らかに悪性であるマスター達が血みどろの戦いを繰り広げるルートで。

 でも、そんな中だからこそ、彼女達の行為はとても美しく尊いのだろうなと。

シーン4:オープニング

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 相変わらず導入がうまいなぁと感じるシーン。

 今までの物語を影による描写と綺礼の語りによって簡潔に振り返りつつ、このお話はもはやサーヴァント同士の戦いではなくマスター同士の戦いなのだと印象付ける。
 これからの戦いを示唆しつつ、綺礼が参戦するのだという盛り上がりをしっかりと視聴者に与える。完璧以上です。

 ただ、少し前に殺されていた慎二に対して、綺礼が「器が相応しくなければ醜い肉塊に成り果てたであろう」って言い放ったり、影の振り返りで慎二が殺されたシーンが挟まれたり、確かに正しいし必要なんだけど、ちょっと可哀想だなぁと笑ってしまいました。

 まぁ、慎二は可哀想であることも魅力の一つだからね、しょうがないね。

 一箇所、桜が臓硯から本を受け取っているような描写があったのがなんの描写か理解しかねました。
 臓硯から貰ってるということは偽臣の書ではないだろうし、Zero由来の要素かな?

シーン5:エピローグ

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 まさかの橙子さん登場でびっくりしました。あと実典君も。
 時計塔でのくだりは映画では無かったけどちゃんとドラマCDに収録されてましたね。

 そして同時に投下される遠坂家の鍵事件、、
 ドラマCDのタイトルからしてまさかそんな重大なものがブッ込まれるとは思ってませんでした。正直、時計塔からの呼び出し云々で「映画での未収録エピソード消化する感じかぁ」って油断してましたね。いやぁ人の心を弄ぶのが上手いぜ全く。

 桜は以前士郎から衛宮家の鍵を貰ったように、今度は姉である凛から遠坂家の鍵を貰うわけです。
 それは、間桐家に養子に出された桜には既に持つ権利が失われていたもので。凛は建前としての理由は述べてるけれど、それを渡すということの意味は明確で。
 その鍵は、きっと桜にとって士郎から貰った鍵と同じくらい大切な大切なものになったんだろうなと。

 HFって言わずもがな士郎とイリヤ、凛と桜っていう二つの兄弟姉妹の物語でもあるわけですが、士郎とイリヤのように、凛と桜も失ってしまった家族という関係性を紡ぎ直していったんだなぁと感じられるドラマCDでした。

 Aimerさんの春はゆくの流れ始めるタイミングも完璧でした。パンフ曰くここもかなり調整したとのこと。ちなみに、スパークスライナーハイについて書いてる時に気付いたのですが、曲名はTrue ENDの『春に帰る』が由来なのかなぁと。

 そして最後の2人で白線を越え踏み歩き出すシーンで毎回号泣してしまう涙腺ガバガバマン。罪も罰も乗り越えて2人はこれから先歩んでいくのでしょう。原作の4人でのカットも見たかったけど、劇場版HFって桜の物語として余分なものは排除して、必要なものを付け足していったものなので、であるならば2人が歩いていくカットが正解かなと思いました。

まとめとして

 最初にHF映画化! 全三章! って聞いたときは嬉しい反面、全部描き切れるのか不安でしたが、作画も演技も構成やシナリオも全て高クオリティで、今では杞憂が過ぎたなという思いです。

 初めに書いたように、この作品は三章でまとめる為に映像作品として、『劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel』として必要のない原作のHFの色んなシーンや描写を限りなく削除しています。

 ですが、どんなに削ぎ落としたとしても、物語の根幹をなすシーンは必ず抑えている。
 そして削ぎ落とした分、物語として厚みが出るように必要な描写を足していく。それが一瞬のシーンだとしても細やかに丁寧に表現されていました。

 この作品は、HFというルートを理解し、どうやって伝え、表現し、昇華させていくのかを考え抜いた製作陣によって大切に作られていると実感できるものでした。

 決してこの作品を軽んじるわけではありませんが、大前提として、この映画はPCゲームFate/stay nightがあったからこその作品です。
 そして、HFの前にはFateルート、UBWルートという『表のFate』としての物語があるわけで。
 HFとは、それらを踏まえた上で語られる、Fate/stay nightという作品を締めくくる『裏のfate』の物語です。

 しかしながら、そういった側面以上にこの作品は『間桐桜の物語』であったと私は思います。それは第一章の序盤の30分を見れば明確で、

 HFは本来、制作されるはずだったイリヤルートと桜ルートを混ぜ合わせた作品になっています。なんならライダールートも少し齧っています。だからこそ大ボリュームかつ情報量も多い。

 そんな作品の始まりならば、普通はできるだけ早足に話を進め、後半の展開に時間を割くべきだと思うでしょう。ですが、この作品は第一章にて桜と士郎の新規のエピソードを丁寧に丁寧に30分も描きました。

 そしてその中で、桜が士郎や藤ねぇとのコミュニケーションで少しずつ人間らしさを取り戻していく過程を描き、その後も彼女の感情の機微を細やかに描き続けていました。それによって、『この映画は桜の物語だ』ということを印象付けていったのだと私は思います。

 そうして彼女を軸として作品を作ったからこそ、この作品はFate/stay nightという地続きの三部作の最終章でありながら、単体の作品としても非常に完成度が高い作品として仕上がっていたのでしょう。

 Fate/stay nightという作品のファンとして、そして『劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel』という作品の新たなファンとして、このような作品に出会わせてくれたことに、生み出してくれた事に、制作に関わった全ての方達には感謝しかありません。




 以上でここで書きたかったことは大体終わりです。
 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
 ここから先はtwitterにでも書いとけって感じの雑多なお話になります。

さらっと箇条書きで語るHFの感想や所感

・全編通して表情の描き方が素晴らしかった。
【桜】
 衛宮邸にて倒れている凛に駆け寄る士郎を見る表情がカメラの動きに合わせて少しずつ変わっていく。
 イリヤの『桜が一番強い』という言葉や倒れた凛を見て暗い喜びを見せる。
 綺礼との会話にて悪女ムーブをかます。
 エピローグにて凛に『幸せ?』と聞かれて。
【ライダー】
 セイバーに対する挑発。
【アーチャー】
 追い越していく士郎を見つめている表情。
【士郎】
 凛のペンダントについて語る時。『大丈夫だよ遠坂』とは逆だな、と。

・綺礼関連で欲しかったシーンがしっかり描かれていたのが嬉しかった。綺礼との善悪問答や『衛宮、助けた者が女なら〜』とか、クラウディアさんとか。

・綺礼の洗礼詠唱はやっぱシビれますね。そして臓硯の頭しりしりが映像化されなかったのは少し残念。地味に好きなので。あれだと臓硯が無抵抗みたいに見えちゃうのがちょっとだけ気になるかな?
・バーサーカ戦について、バーサーカーはイリヤを守っているつもりで戦っていたはずなので、その事について描かれなかったのが少し悲しいな、と。全ルートを通してイリヤを最期まで守り抜こうとしたバーサーカーの言葉だからこそ『お前が守れ』がとても重いセリフになるわけですから。
・桜が臓硯を身体から取り出す時の表情がかなり、、あのその、、流石です桜さん流石。
・凛vs桜にて、貴重な屈託のない頃のロリ桜が出てきましたね! ワンペアで得意げなロリ桜めちゃかわ。

・綺礼の肉体がめっちゃエッチでやばかった、、やはり筋肉は良いと再認識する瞬間。
 というか、あの綺礼の色気は良くないよ。あの一瞬で綺礼の女に堕とされるかと。
 正直、十字架にキスするシーンがバストショットで良かったなぁと思います。例えばあれが顔面ドアップだとしたら、キスした後にこっちに視線向けられるわけでしょ? 完堕ちでしょそんなん。
 士郎との戦いは切嗣との戦いのようなスタイリッシュなものではなく、血みどろで我武者羅なもので、正にお互いの信念をかけた戦いという感じがしてとても興奮しました。
 お互いの信念をぶつけ合う戦い。途中で綺礼がバーサーカーのような形相で士郎に殴りかかるシーンが本当に良かった。
 ここら辺、真じろうさんとかが書いたら凄いんだろうなぁって思って見てたらエンドロールで12の試練の作画として真じろうさんが登場して『そこにいたんですか!?』ってなった。
 真じろうさんの描く肉体は良いぞ。

・クラウディアの声優さんが茅野愛衣さんだったことに驚きました。CV付いたの実は初めてでは?

・二章からでてきた可愛い方の虚数の小人。あれが示唆するものは、桜にとっての自己愛という考察をされてる方と、無垢性という考察をされてる方をtwitterで見て、どちらもなるほどなぁと感心した次第で。

・spring song公開直前に衛宮ごはんでバゼットさんが特別編で登場、綺礼の子供やアンリマユについても言及され、実典君も登場! これはもう確定でしょうとドヤ顔でエンドロール見てました。んなこたぁ無かった。
 いつか映像化されると良いね。

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