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ストリップを観てからホテルに行く百合小説③

第三話

みなとはとても優しい。
指でふれるときも、舌をつかうときも、からだのパーツではなく「わたし」を見ているのがちゃんとわかる。みなとは目を合わせるのがすきじゃないみたいだけれど、たとえ視線が合わなくても意識がちゃんとこっちを向いている。

「くすぐったいよ」

靴擦れのあとを舐めてくれるみなとはわたしと目が合うと、照れくさそうに目を細めて笑う。いつもマスクで覆われている頬は上気して、普段から化粧気のない肌が水を含んだようにしっとりとして見える。みなとは自分のいいところを全然しらない。

「もっとさわらせて」
 
気が急くのを押し殺すような、それでいてきちんとお伺いを立てるような低く柔らかい声。わたしのつけた香水の匂いが立ち昇る。

  イかせてあげられなくて、ごめんね

頭の中に、これまで触れてきたひとたちのしずかな声が不意によみがえる。みんないいひとたちだった。だれもわたしを責めたりしなかった。だからこそ、かなしませてしまうことが不本意だった。

フィクションでセックスを学ぶと、それはとてもかんたんなように思える。ごくかぎられたパーツへの接触。自動的に訪れる絶頂感。そうではないということをのみこむまでに、わたしはずいぶんいろんなひとを傷つけてしまったのだと思う。

からだにふれるのも、ふれてもらうのも好きだった。それでも、行為をつづけていくうちに快楽はそれ自体がプレッシャーになり、劣情は嘘を見抜かれる不安へとかたちを変えていく。セックスはいつしか苦痛になった。

「千紗は濡れにくいから」

労わるように、そう言ったひとの声色をいまも覚えている。やさしいひと。だけどわたしはあのとき、あのひとを絞め殺してやりたかった。そんな自分をいまも軽蔑しつづけている。

≪その、自分のせいってことにする癖、やめたら?≫
SNSで仲良くなったみなとは、初めて会うまえのショートメッセージでそう言った。みなとは文字なら饒舌になるタイプで、ストリップ鑑賞を趣味にしていることや、自分に自信がなくて、踊り子さんのポラを撮りに行けないことなんかをあれこれ話してくれた。

みなとを通して聞いたストリップは、女のひとのからだがとてもいいもののように扱われているようで、自分のからだを機能不全の欠陥品みたいに感じていたわたしにはとても眩しく思えた。

≪怒ってるなら、怒りつづけていいのに≫

(なにがただしくて間違っているのか、自分で判断する勇気がなかった。ひとに言われたことを真にうけるのは、謙虚なようでただの責任転嫁なんだろう。そういう自分のずるさ浅ましさを自覚しているということで何かからゆるされようとして、誰のせいでもなくわたしはずっとつまらない人間であることに甘えつづけていた)

服装も人前に出すキャラクターも、誰かに言われた自分、期待されている自分を演じているようで、付き合うひとがかわるたびにわたしは自分を着せ替えていった。

みなとは、わたしに何かを期待しない。決めつけない。だから友だちになって、それ以上にもなりたいとわたしから望んだ。

初めて行ったストリップ劇場は、外観こそレトロで近寄りがたい雰囲気を残していたけれど、舞台の上には想像以上の世界が広がっていた。ただ服を脱ぐだけではなく、そこに至るまでの物語がたった二十分ほどの演目にこれでもかと詰め込まれている。
音響が、照明が、だれかの視線や手拍子が、女のひとのからだをこんなにも美しく彩る場所をわたしはほかに知らない。

演目の途中、舞台の真ん中にある迫り出した盆の上で踊り子が横たわり、自分のそこを指で慰める演出があった。緩いキャミソールのひもが華奢な肩をすべり落ち、つんと尖った胸の先が露わになる。客席からよく見えるように大きく開かれた脚と、中心をまさぐる白い指。見えない相手との最中であるみたいに爪先が宙を泳ぎ、やがて小さく痙攣して反り返ったあとゆっくりと弛緩する。
荒く上下する薄い胸。タイミングよく途切れた音楽の合間で、微かに聞こえる息遣い。

「よく、何かの作品だとか気持ちの表明に対して『そんなのオナニーに過ぎない』とか言って下げる表現、あるでしょ。でも、ひとのオナニーって、きれいなものなんだね。いいものじゃん、見たいものじゃんって、思っちゃった」

 デジカメショーが始まったざわめきに紛れて、興奮したわたしがそう話すと、みなとはペンを走らせていたノートを閉じながら少し苦笑した。

「それは、きれいだって思わせてくれる踊り子さんの力だよ。プロのショーだもん。ただのオナニーは、見せるものじゃないよ」

言いながら、みなとの視線は足元に置いたリュックへと注がれる。みなとのリュックには、メモ帳やペンと一緒に、踊り子に渡せないままの分厚いファンレターが入っていた。

あの踊り子専用のノートを抱え、彼女を追って遠征までしているにもかかわらず、いまだにポラ一枚撮ることのできないみなと。髪の毛とマスクで顔を覆って、合わないサイズの服で体型を隠しているみなと。わたしの救世主は、まるで誰からも存在を気づかれたくないみたいに、狭い劇場の中でじっと背を丸めていた。

「そりゃあ、そう、だけど……でも、みなとのそれは渡した方がいいよ。読むかどうかは踊り子さんが決めるわけだし」
「いままでポラも撮れてないのに、変でしょ」
「きょう撮ったらいいじゃん」
「無理無理、どうしても無理。ぜったい気持ち悪いって思われちゃう」
「そんなことないよ。そんなふうに思うひとに見えない」
「……そうだね、いまのはむしろ失礼だった。わかってるの、きっと喜んでくれるし、もし、仮に嬉しくなかったとしてもそんなそぶり見せたりしないって。でも、……こわいんだ」

元々大きくない声がさらに小さく消え入りそうになる。そっと手をつなぐと、びっくりするほど指先が冷たい。

「いきなりはしんどかったよね。いろいろ言っちゃってごめん。……いつか、渡せるといいね」

体温を分けるように、繋いだ手をなんども握ったりゆるめたりしていると、俯いていたみなとがふと顔を上げた。

「千紗にお願いがあるんだけど」
「なに?」
「わたしの代わりにポラ撮って、これ渡してくれない?」

思いつきに興奮したのか、慌てたしぐさでリュックから財布と手紙を取り出す。手紙のほうを先にわたしに押し付けると、もどかしげに財布から一万円札を抜き出した。

「これぜんぶ使って」
「え……ぜんぶ?」
「うん。二十枚。……さすがに、一度にだと困らせちゃうかな。じゃあ半分。で、おつりはこのあとのオープンショーでチップにして渡して」
「それならみなとが」
「いいの。お願い……いままでずっと、ポラ撮ることもチップ渡すこともできないのが悔しくて。きょう、やっとできる」

お願い、ともう一度頼まれて、差し出されたお金を受け取る。わたしにも、みなとの役に立てることがある。そう思うと、戸惑いは簡単に塗り替えられていった。

列のうしろのほうに並ぶと、前にいた客がわたしをちらりと見てから遠慮がちに「ヌギで頼もうと思うんだけど、前行く?」と尋ねた。よく意味がわからなくてとっさに「大丈夫です」と応えると、わかった、というように頷いてそれ以上話しかけられることはなかった。みなとの方を振り返ると、わずかにしか窺えない表情からでも緊張がはっきり読み取れて、逆にこちらは気が抜けてしまう。大丈夫だよ、と伝えるように小さく手を振ると、みなとは真剣な様子でこくりと頷いた。

前のひとの順番。「脱ぎで」と伝えられた踊り子はうしろにいたわたしやほかのお客さんに向かって「衣装はもういいですかー?」とよく通る声で尋ねた。そこでようやく、さっきの質問の意味が飲み込めて、衣装が撮れないのをすこし残念にも思った。けれど一度断ってしまったので、コクコクと頷いておく。みなとは衣装がよかったかな、と心配になったけれど、いまさらどうにもできない。せめてちゃんと写真を撮らなくちゃ、と気合いを入れ直す。みなとから預かった手紙も渡さなくちゃいけない。

順番が回ってきて、踊り子の目の前に進み出ると、マスク越しでもわかる甘やかな香水の匂いが鼻をかすめた。さっきまで舞台で踊り、身悶えていたそのひとはもう涼しげに背筋を伸ばして、穏やかな表情でこちらを見据えている。まず手紙を渡すと、踊り子は長い睫毛にふちどられた目をまん丸くしてそれを受け取り「うれしい! ありがとう!」と華やいだ声で喜んでくれた。みなとが見ていると思うと嬉しい反面、やっぱりみなとがここに来るべきだったのに、と少し胸が痛んだ。預かったお金を渡し、十枚、とお願いすると「そんなに? ありがとうね!」と懐っこい表情を見せてくれた。

「ポーズのリクエストあるかな?」
「えっと……おまかせで」

オッケー、と明るく請け負った踊り子は流れるように次々とポーズを決めていく。初めにバストアップで、両頬に手を添えたアイドルみたいなポーズ。ウインク。斜めに脚を流したあとは、片脚を高く上げたポーズ。それから膝立ちでふりむく。立ち上がってモデルのように腰に手を当てた姿も良い。そばにあった小道具をつかったり脚の向きや指先のかたちを微妙に変えたりすることで、雰囲気の違うそのひとがいくらでも現れる。そしてどのポーズも、潤んだ瞳やきゅっと細い鼻筋、鍛えられた体躯にすべらかな背中、小ぶりで張りのあるお尻や白い首すじといった彼女の魅力をそれぞれ強調するものばかりだった。夢中でシャッターを切るたびにフラッシュが瞬き、十枚ぶんの撮影はあっという間に終わってしまう。

預かってもいいかな、と言われて、よくわからないままにハイと応えると、名前を書く紙とペンを渡された。わたしが初心者だと察したのだろう踊り子が「写真にサイン書くからね」と教えてくれたので、紙には『みなと』と名前を書いておいた。

「みなとちゃんね」
わたしのペン先を覗き込むように顔を近づけた踊り子から、また香水の匂いが立ち昇る。あんなにも彼女に焦がれているみなとは、この匂いをまだ知らないのだ。
「すみません、使ってる香水の名前、聞いてもいいですか?」

「みなと」
「うん」
「みなと、こっち向いて」

口づけでごまかそうとするみなとの唇を軽く噛んで、みなとの瞳を覗き込む。乱れた前髪を払ってやると、みなとは気恥ずかしそうに何度もまばたきをした。わたしから立ち昇る香りがあのひとと同じそれであることに、みなとはまだ気づいていない。

服を取り払った体を重ねていると、みなとの手がわたしの下着の中にすべり込む。ゆっくりと脱がせた下着を、まるで踊り子がそうするみたいに手首に巻き付けたので思わず笑ってしまった。そうすることが面白いという以上に、みなとがわたしの前でふざけてくれる、それくらい気を許されていることがうれしくて仕方なくて、ひとしきり笑うとなぜか泣きたいような気持ちになってみなとの頭を抱き締めた。しばらくそうしてから解放すると、みなとは少し考えるそぶりを見せてからそっとわたしの頭を撫でる。何が伝わっているわけでもないのに、そうされることが絶対の正解である気がして、正解を見つけてくれるみなとがもっと愛おしく思えてしまう。

わたしたちのセックスには絶頂がない。あるのはからだを使った会話と、ぜったいに相手の嫌がることをしない意思と単純な思いやり。いつも深爪をしているみなとの指が、わたしの奥へと沈みこむ。
(続く)

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