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#月島書簡 1
早月くらさんへ
こんにちは。先日は突然のお誘いに乗ってくださりありがとうございました。「酔っぱらった早月くら」が見てみたくて、お茶のあと自分から飲みにも誘ったのに、早月くらはお酒に強いのが計算外でした。ハイボールおいしかったね。またお茶もお酒も行きましょう。
さいきん、自分のなかの「覚えていてほしい」願望についてよく考えます。たとえば個展(来てくれてありがとう!)のあと、誰かがすこしでもこの個展を覚えていてくれますように、という気持ちがすごくあって。どんなに大切なことでも、自分自身ですべてを覚えておくことはできないから、誰かのなかに少しでも何かが残っているといいな、という願望が、かなりの切実さで自分にあることに気が付きました。あるいは自分の作品について、誰かが思い出してくれるといいな、とか。ほかにも自分自身について、しばらく会っていない古い友だちを夢に見たあとで、相手もこんなふうにわたしを思い出してくれる瞬間があればいいのにな、と思ったりします。
とはいえ「忘れて欲しいこと」も少なからずあって。笑
だれかの記憶、というコントロールできないことについてあれこれ考えるのは不毛だなぁと思いつつ、どこかにそういう「都合よく誰かの記憶に残りたい」下心があって、創作を続けているのかもしれないなと思います。
思いがけずお恥ずかしい話になりました。夕方はだいぶ涼しくなりましたね。とはいえしばらくは残暑が厳しそうなので、どうぞご自愛くださいませ。
宛名だけ消した手紙を出すようにちいさな声でうたう明け方
桐島あおさんへ
お手紙ありがとうございます。ハイボールを飲みながら、あおさんが「なんか面白いことやりましょう!(意訳)」と言ってくれて始まった往復書簡、届くのを楽しみにしていました。
手紙って良いですね。私はひととコミュニケーションを取るときの瞬発力(?)が底辺なので家に帰ってからあれもこれも話せばよかったと思い返すことが多々あります。それが手紙だと、数日頭の片隅に置きながらすこしずつ書けるのがよい感じです。平安時代あたりに生まれたほうが良かったかもしれない。
話がそれました。「覚えていてほしい」願望について、お手紙をもらってから私も考えています。記憶、ままならないですね。自分の記憶って意識的/無意識的にかかわらず美化してしまうから、信用しきっていないところがあります。その美化を含む出力として短歌や写真もあるわけですが。その点、だれかに伝わったものは伝わった時点でその人の解釈を経た別のものになっている気がして、だれかの中に残る自分の発した何かは、すこし信じやすいように思います。
たまに昔の歌を引いてもらうことがあると(本当にひとの記憶に自分の言葉が残っているんだな)と不思議に思う気持ちがあります、嬉しいとおなじくらいの重さで。それくらい特別なことなのに、記憶に残してほしい、あわよくばたまに思い出してそれを教えて欲しい、とどんどん贅沢になってしまいますね。
あおさんの歌でいちばんよく思い出すのは「冷え切った手には水でもあたたかい わたしがやさしいなんて嘘だよ」です。これから寒くなると、自身の体感と相まってより登場が増える気がしています。“思い出す短歌”、まだまだ話し足りないですが、長くなってしまいそうなので今回はこのあたりで…
その声にほどかれたことしらしらと予感は咲くときによみがえる
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