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#63 現代社会の問題⑥(テクノロジーと消費社会)

次の文章は2013年に出版された速水健郎「1995年」からの一節である。これを読み、あとの問いに答えなさい。(90分)

問1 太線部「現在の日本はその95年の延長線上に置かれている」とあるが、それはなぜか。95年以前と以降の差異が明らかになるように、筆者の主張に沿って、その理由を説明しなさい。(100字以内)
問2 課題文の内容を踏まえた上で、今の日本はどのようなものか、そしてこれからの日本はどうあるべきか、あなたの意見を書きなさい。(400字以上600字以内)

スライド12

 現代の若者がバブルの1990年にタイムスリップする『バブルヘGO !!』(2007年)という映画があった。現代のフリーターの若者を演じる広末涼子は、この世界を見て驚き、目を見張る。17年前のバブル期の東京では、金曜の夜にタクシーはつかまらず、人々は札束でタクシーを止めようとした。女性たちは露出の多いボディコンスーツを着て浮かれている。ばかでかい携帯電話も登場したし、見るものすべてが驚きにあふれている。
 いまの20歳の若者が18年前の1995年にタイムスリップしたとしても驚かないだろう。
 形は多少違えど携帯電話はコンパクトたったし、一応インターネットも存在する。人々のファッションにも違和感はないはず(少なくともバブル期ほどのインパクトはない)。このちょっと前までは、若い女性の眉毛は太いのがトレンドだったけど(代表は、80年代の今井美樹)、1995年は細眉の黎明期だ。さらに、イチローはもうプロ野球選手として活躍しているし、テレビをつければダウンタウン『ガキの使いやあらへんで』を観ることもできるし、安室ちゃんもデビューし、すでに活躍している。違和感を覚えるとしたら、街中にスターバックスがないことくらいではないか(スターバックス日本上陸は翌96年のこと)。
 「1995年」は、バブルの時期からたった5、6年あとの世界でしかない。一方、2013年の現在からは、18年も前である。とはいえ、「1995年」はバブルの時期よりも現在に近い時代であるように思う。そして、現在の日本はその95年の延長線上に置かれている未来であるのは間違いない。

 1995年を、「転機の年」という固定観念からいったん外してみるということを冒頭で掲げたが、最後にこの年を総括する必要はあるだろうか。
 1960年代末。世界中の先進国は、社会変革の期待、つまり革命の気分で満ちあふれていた。共産主義への体制変更を訴える学生たちによるデモや暴動があちこちで起こり、旧来の価値観を否定し自然への回帰や平和主義を訴えるヒッピーが台頭した。こうした政治運動を反映した文化としてロックやフォークといった反体制的な音楽が流行していた。
 1995年は、こうした60年代の革命の2回戦、敗者復活戦という要素を含んでいた年だった。反体制文化が、当時、注目されたパーソナル・コンピュータの発展やインターネットの登場によって再び盛り上がり、60年代的な社会変革の気分が再燃したのだ。本編でも触れたが、インターネットを熱狂的に取り上げたのは、ビジネス誌以上にカルチャー誌だった。また、なによりもヘッドギアで脳波をコントロールする修行を義務づけ、ハルマゲドンを回避しようとしていたオウム真理教は、テクノロジーと社会変革を組み合わせた集団だった。
 社会変革を反体制的な運動によって起こそうと考えたのが1960年代だとすると、テクノロジーで再度その機運を呼び起こそうとしたのが90年代であり、その中核の年が1995年である。
 1960年代に社会変革の流れが生まれた背景 に、テクノロジーによって支えられる物質文明や行きすぎた消費社会への反省があったが、95年にもそれを見てとることができる。
 まさにオウム真理教の麻原彰晃は、物質文明や消費社会を否定することで、それに共感する若い信者を集めた。だがオウムは同時に、テクノロジーを大いに活用した宗教だったし、極めて消費社会的な手法で運営された団体たった。
 教団の運営資金は、出家信者たちが投げ売った財産と在家信者によるお布施だけでは賄い切れていなかった。彼らは、パソコンショップを経営し、年間数十億円という巨大な利益を挙げていたし、「うまかろう安かろう亭」というラーメンチェーンを経営し、そこに集まる客を信者として勧誘し、さらに利益も得ていた。パソコンとラーメン。つまり、テクノロジーと消費社会によって駆動される矛盾したシステムがオウム真理教なのだ。
 「1995年」も、オウムと同じような矛盾を抱えた年だったように思う。テクノロジーが生んだ物質文明や行きすぎた消費社会への反省は、この頃に臨界点に達した。日本ではそれがオウム事件に行き着いたが、アメリカではまた少し別の事態が起こっていた。テクノロジーと消費社会批判の論文を新聞社に送りつけた連続爆弾魔のユナボマーを巡る議論である。当時、インターネットでは、このユナボマーの反文明的な論文は話題になった。インターネットを使って議論を行うような層にこそ、彼の主張は好意的に受け止められ、賛同されたというのも矛盾である。
 そんな社会変革の期待に満ちた1995年。ここから始まった新しい時代。それは、おそらくは、さらに進んだテクノロジーとさらに進んだ消費社会のロジックによって駆動される何かでしかない。
 携帯電話、インターネット、次世代ゲーム機、貿易自由化、価格自由化、規制緩和、雇用柔軟化。1995年から始まったものが、現在の礎になっている。これらは直線的に発展し、登場、普及したのではなく、1995年というポイントを経て新たに登場してきたのだ。
 テクノロジーと消費がリードした時代に終わりが突きつけられ、さらなるテクノロジーと消費がリードする時代が始まる。そんな矛盾がクロスしたポイントが1995年だったように思う。
(速水健郎「1995年」2013年)

【解答例】

問1
現在の日本が95年の延長線上に置かれているのは、95年以前はまだパソコンもネットも発展していなかったが、95年以降はそれらのテクノロジーによって、さらに進んだ物質文明と消費社会が作られたからである。(99字)
問2
 今の日本はテクノロジーがさらに発展した社会である。が、それによって人々の消費あり方は変容した。ひとまず、昔のような大量生産・大量消費の傾向はないし、またモノの所有を目的とした消費も減少傾向にある。例えば、現代では高級ブランドを求める人が減り、ユニクロで十分と考える人が増えている。現代はモノ消費よりも、コト消費とトキ消費に価値観が分散しつつある。わかりやすい例が音楽イベント業界の活性化である。現代ではネットの発展によって、ライブは「行かなきゃ観られない」ものから「行かなくても観られる」ものへ変わった。にもかかわらず、わざわざお金を払って音楽のライブイベントに行く人が増えている。
 これは人々の価値と欲とがモノからコト・トキに変わった証左である。テクノロジーによるデジタル化が進み過ぎ、逆にリアルの感覚や体験に価値が出てきた。よって現在は、テクノロジーの発展が、以前にも増して社会を複雑なものにしたと言ってよい。
 そのため、これからの日本にはデジタルデバイド(情報通信技術の格差)がより深刻な問題として浮上してくるように思われる。テクノロジーをうまく扱える人間は富み、そうでない人間は貧する。そういった格差がより顕著になる。したがって、今後の日本にはデジタルデバイドを是正する制度や対策が必要だ。でなければ、多くの人が複雑な社会の中で、格差の下方に回ってしまうだろう。(583字)

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