「心が読めるようになりたい」
「わたし人の心読めるようになりたい!」
ゆきちゃんはわたしの家に着くなり、唐突にそう言った。
「人の心読めればいいのにって思ったことない?」
「あるけど、人の心なんか読めたらたまったものじゃないよ。だから読めなくていい」
「そうなの?」
「そうだよ」
ゆきちゃんとちゃんと会話したのは、この日がはじめてだった。
その日は、息子の友達の男の子たち数人がうちに遊びに来ることになっていた。
公園で待ち合わせをしていたら、ゆきちゃんと男の子たちがばったり出会い、そのままみんなでうちにくる流れになった。
男の子たちはぞろぞろ歩きながら、着いたら何をして遊ぶかという話をし始めた。
しかし、ゆきちゃんと男の子の一部が口喧嘩をし始めた。
「なんでゆきがいるんだよ」
「そうだよ、俺らは約束してたからいいけどさ」
「ゆきは、いっつも呼んでないのについてくる」
男の子たちの言い分にも一理あるのだけれど、結果的にゆきちゃんを邪魔者にするような形になった。
ゆきちゃんは泣きだして、逆方向に一人で歩き始めた。男の子たちは知らん顔で歩いて行った。
わたしはほっておけず、ゆきちゃんを追いかけ、焦って窘めるように声をかけた。
「ゆきちゃん、一緒に行こう」
「嫌。今日はもういい、行かない」
ゆきちゃんは、涙を流しながら唇を強く噛んだ。
わたしは引き留めるのをやめて、ちょっとだけゆきちゃんの味方をした。
「うちね、わたし以外全員男の子なの。家族もそうだし、遊びに来るのもみーんな男の子。だから、女の子が来てくれるとすごい嬉しい。わたしも、いつも女ひとりだから、ゆきちゃんに来てほしい」
そう言ったら、ゆきちゃんは一瞬のうちに泣き止み、すっと立ち上がった。
ほんの数メートルの距離、手をつないで歩いた。
彼女と話すのはとてもおもしろかった。
「いじわるされたことある?」
「あるよ」
「え、あるんだ」
「でも、ゆきちゃんくらいの子どもの頃は、いじわるされてもあんまり気づかなかったなぁ」
「え~そうなの? いじわるされたら悲しいじゃん!」
ゆきちゃんは弾けるようにそう言い放ち、けろっとして男の子たちの中に混ざって消えた。さっきまであんなに悔しそうに泣いていたのが噓みたいに。
ゆきちゃんと話すのはおもしろかった。
思ったことをポンポン言うし、自分が強く感じること、記憶していること、自信のあることなどは、何度も強く主張した。
だからわたしも同じように、思ったことをそのままポンポン弾ませるように言葉にできた。
そのあとゆきちゃんは、わたしがあげたお菓子を食べた。
「う~ん、ちょっとこれ、あまり好きじゃないかも……」
「あら、好きじゃなかったね」
「なんかぬめっとしている触感!」
「確かに、ぬめっとしてる」
「そう、わたしぬめっとしたもの苦手なの!」
「じゃあ、残りはそこに置いといて」
「お菓子ちゃん、ごめんなさい!」
彼女は言った。
たとえば、他の人とは笑顔で話しているのに、自分と話すときだけ笑ってくれない人がいる。
なんで笑わないのか、なぜ自分だけがそうなのか……その人の心を読めるようになったらそれがわかるでしょう。だから、人の心が読めるようになりたいのだと。
わたしもゆきちゃんと同じように「人の心が読めたらいいのに」と思ったことがあった。
気持ちをテレパシーで伝え合えればいいのに。人が感じている世界や感覚を、特殊な最先端の技術でそっくりそのまま体験できたりすればいいのに。
自分の頭の中を割って、見せることができればいいのに。
大人になって、自分の子どもを産んでから、そう思ったことがあった。ゆきちゃんよりだいぶ大人になってからだったな。
でも今は、人の気持ちなんて読めないほうがいいことを知っている。人が心の中で何を考えているかなんて、わからないほうがいい。
知らないほうがいい。いじわるだって、嫌みだって、気づかないほうがいい。
ゆきちゃんは、知りたいこと、感じたこと、思ったことをそのまま口に出している。すぐに泣くし、笑うときは大口を開けて笑う。ポップコーンが弾けるように、右に左に話が飛ぶ。
わたしは、思ったことを言葉にするのがとても苦手。自分が悲しいとか、寂しいとか、悔しいとか感じていることに気づくのも、とても遅い。疑問におもったことは、ずっとひとりでぐるぐる考えてしまう。
ゆきちゃんと自分はぜんぜんちがう人間なんだけど、わたしは彼女と話せてとても嬉しかったし、楽しかった。
「今日はゆきちゃんが来てくれて嬉しかったです」
そう言ったら、彼女はにかっと笑って、男の子たちの輪の中に、また弾けるように飛び込んでいった。
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