”おもしろい”を哲学する ~自分をおもしろがれる人は強い~
(はじめに)
いつ何時でも自分をおもしろがれる人って強い
新型コロナウイルスが蔓延する今のご時世でも、自分を保って生きていくためには一体どんなマインド(考え方)が最強なんだろうと考えていた。
ある日の夕方に、ふと流し目でテレビのニュースを観ていたとき、『あっ、この人がその問の答えかな。』と思われる人物を観た。
テレビには、普段は豚丼をフードトラックで販売している店主が映っていた。加えて、そのフードトラックの営業利益は、コロナウイルスによってほとんどないと報道されていた。
しかし、意気揚々と豚丼を研究し続けている店主の姿が印象的だった。
ニュースの終いには、「これで、収束後に『おいしくなったね。』と言ってもらえたらもう勝ちでしょ!」と、店主は明るく言い放っていた。
この店主の姿を報じたこのニュースは、普段の雰囲気と、うって変わって珍しく明るく感じた。
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店主の姿を見て、こんな状況下でも楽しめる心の強さに"力"を感じた。
生きる力を体現化したような店主を見て、"おもしろがる力"とは、『要はこういうことなのかぁ。』と自然と腑に落ちた。
どんな状況下でも"おもしろがれる力"というのは、人の中に希望を見出させてくれるものだなぁと感じたニュースだった。
もっと言うと、「自分をおもしろがることができる気持ち」さえあれば、仮に全てを失ったと感じてもそれ以前と大して変わらない心の持ちようで生きていけるのではないかと感じた。
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全てを失っても、おもしろがる力で生きていける
(佐藤愛子著『それでもこの世は悪くなかった』より)
私の中で"自分をおもしろがる力"がすごいと感じた人物の中で、佐藤愛子さん(御年96歳)という作家さんの随筆を読んだことがある。
佐藤愛子さんは、2度の結婚を経験する中で、二番目の夫の借金を肩代わりした生活を送っていた。
今の時代で言う"ヒモ夫"のようなものか。
しかし、当時は今と時代も違うため、今叫ばれているような"ヒモ夫"ではない。
当時、トンデモない額の借金を背負ってしまった男性は、下手に外出すると借金取りに追われてしまうことから、易易と外出ができなかったという。
そのため、借金を背負った男性というのは、家の中で過ごす他なかった。
当時で言う2億の借金があったそうだが、佐藤愛子さんが作家として働き、借金を見事完済したのだ。
"ふつう"なら絶望してしまう状況だろう。
しかし借金があったときも、特に毎日借金の額を通帳でチェックすることなく、飄々としていた。
あまりにも佐藤愛子さんが元気そうで飄々としているので、「まだ蓄えがあるんじゃないか?」と借金取りにもカンぐられるほど、不思議がられたという。
そして、佐藤愛子さんはこの人生自体を"本"にした。そしてこの"晩鐘"という本は、紫式部文学賞を獲った。
私は、この作品のオワリの"あとがき"に書かれた佐藤愛子さんの好きな言葉が印象的で、気に入っている。
佐藤愛子さんやフードトラックの店主を見て、「自分をおもしろがることができる気持ち」が最強なんじゃないかと改めて思ったのだ。
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"おもしろい"を哲学する
ではここで、"おもしろい"について考えてみようと思う。
"おもしろい"と一口で言っても、お笑いを観て「ウケる」という意味合いだけではない。
ここで言う"自分をおもしろがる"の"おもしろい"が含む意味合いは、"興味を持つこと"を指している。英語でいうと、funnyよりinterestedの意味合いが強い。
しかしながら、"おもしろい"とは、funnyでありinterestedであり、uniqueなのだ。
ここで、funnyとinterested、uniqueの意味の違いを比較すると、以下のようになる。
お笑いを観たときに使うのは、funnyの方だろう。
お笑いを観てinterestedは使わない。
しかしながら、funnyやuniqueの真髄は、interestedだと私は考える。
なぜなら、funny(ウケる)と感じることは同時にunique(珍しい)であり、根底はinterested(興味深い)であると考えるからだ。
funny(ウケる)と感じることは、同時にinterested(興味深い)でもある。
しかし、interested(興味深い)と思うものは、必ずしもfunny(ウケる)と感じるとは限らない。
よって、interested(興味深い)が"おもしろい"というコトバの真髄なんじゃないかと思う。
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例を挙げてみる。
お笑いを観て「ウケる、おもしろい(funny)」と思うのは、同時に興味深いということでもある。
変わったことをしている人は珍しさがあるので、興味が湧くのは当然のことだろう。
お笑いを観たとき、"おもしろい(orウケる)"と表現しても、"興味深い"とはあまり言わないだろう。
逆に、YouTubeで活躍する人の大半は、YouTuberになるまでのストーリー(人間ドラマ)がある。
それは、"興味深い(interested)"ものではあるが、"ウケる(funny)"と表現はしないことの方が多いと思う。
しかし、私達は興味深いものに対しても、"おもしろい"と表現する。
つまり、私達は、"おもしろい"という一つのコトバに、複数の意味を含めているのだ。
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日本語の"おもしろい"は、複合的に意味を持つ
"おもしろい"の意味を辞書で引いてみると、
といったように、日本語で表す”おもしろい”は、複合的に意味を含む。
同時に、普段私たちは、”おもしろい”の意味を複合的に使っているのだ。
つまり、数ある意味(定義)の中で、どの意味合いで”おもしろい”というコトバを使っているかは人によって異なると言えるだろう。
そして、人によっては、意味合いによっては多岐にわたる使い方があることは露知らず、たとえば"おもしろい"の意味を『2.つい笑いたくなるさま。こっけいだ。』といった意味のみだけを認識し、それだけを日常で使用していることは十分にあり得る。
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"おもしろい"は興味があること全てを含む
こっけいだとか、奇妙だとかおかしいという意味合いで"おもしろい"と思うことは、ユニークであると変換されることが多い。
しかし、unique(ユニーク)の意味は以下である。
「ユニーク=お笑い」というイメージが根強いが、"物珍しさ"がユニークである。
しかし、unique(ユニーク)の和訳を見ても、やはり「興味深さ」の意味合いが強いことがわかる。
だから、unique(ユニーク)の真髄もinterested(興味深い)なんだろうと思う。
つまり何が言いたいかと言うと、"おもしろい"とは興味があるもの全般を指し、同時に自分にとってユーモアのある(他に類を見ない珍しい)ものであるのだ。
よって、
ユニーク、珍しさ(unique)≒興味深さ(interested)≒面白さ(funny)
であると言えるだろう。
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"おもしろい"の真髄を踏まえて、自分をおもしろがる
私がどちらかというと、自分をおもしろがることが多々ある。とはいえ、落ち込むことも多かった。
しかし、一見矛盾しているように聞こえるかもしれないが、自分が落ち込んでいるときほど、自分がおもしろい。
先ほどの「おもしろいを哲学する」での意味合いをざっくりと振り返ると、"自分をおもしろがる"とは、『こっけいだったり、興味深さがあったり、物珍しかったり、風変わりであり、奇妙だと感じること全て』だと捉えていきたい。
それを踏まえて、自分の体験をシェアしようと思う。
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失恋して死ぬほど落ち込んだときがあった。
ただただ痛みを感じていた日々もあったのだが、そこまで心が痛むほど落ち込む自分に興味を持っていた。
『なぜそんな落ち込むの?』と、どこか自分を右上の部屋の天井の隅から俯瞰するように考えていた。
きっとそれは、そんな自分が興味深かったのと同時に、そんな自分もこっけいであり、奇妙であり、もの珍しかったのだと思う。
そして、私が俯瞰してしまうのは、あまり物事に興味が湧くことが少なかったからだった。つまり"おもしろい"と感じることが少なかったのだと思う。
なぜなら、普段の私であれば大抵のことは受け流すため、深く感情が揺さぶられることは少なかったからだった。
私の物事を見るスタンスとして、私が部屋にいるとしたら、部屋の天井の右上片隅の角から自分を見下ろして、まるで他人事のように自分のことを見ていた。
このモノの見方はなかなか変わらないし、これが私だと思う。
がしかし、興味を持つことをもっと増やしていけたら、もっと自分をおもしろがれるようになれるんじゃないかと思った今日この頃だった。
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読んでくれてありがとう、ではまた!
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