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もっと自由になる為にデータサイエンスをやってみる

なぜデータサイエンスなのか
言葉にしておきたくて、最近言葉に出来ない(するのが難しい)ことの方が多いが、あえて言葉にしたくてとりあえずnoteを開いた。

ひとことで言うなら、わくわくするから。
わくわくというのは、好奇心は揺さぶられるのと、自分がやりたかったこと/この先やりたいこと、在りたい姿に近づく気がしたということ。


自分にしかできない仕事≒自分しかやろうとしない仕事

私の在りたい姿は、
一言で言えば”自分にしかできない仕事≒自分しかやろうとしない仕事”をして、死ぬときに何一つ後悔なく死ねること。

「≒」にしているのは、私の中の考え方として”自分にしかできない仕事”なんて結局のところ存在しなかったし、いつだって自分でも誰であろうと人間の替えは効くと考えているから。だから、自分しかやろうとしない仕事をする。これは可能だと思う。

”自分にしかできない仕事≒自分しかやろうとしない仕事”とは、私の中では、"お金を貰わなくても絶対にやっているであろう仕事"のことでもある。


遡ること2019年、

一時期スタートアップのITベンチャー企業にいたときに失敗してからは、自分の人生を諦めに諦めようとしてきた。
けど、悩みに悩み抜いた末、諦めるのはやっぱり悔しすぎるし、あのときの仲間が離れ離れなことも、後悔も失敗もたくさんありすぎる。故に、自分が死ぬときに浮かばれない思念が在るということが嫌だ。

やっぱりこれから先も生きるという選択をするんだったら、これだけは譲れない/諦めきれないなと思った。

だから、特に自分のことに関しては失うものも無くなった今、ゼロからのスタートだな!と思っている。

そして、やりたいことが何も失くなって人生諦めようとしていた無気力な当時の私が、唯一興味を持てたのが、データサイエンスだった。

きっかけは、ITベンチャーの仕事がやっぱり自分の人生の中では最も使命感を持って、信頼できる仲間と生きられていた生きがいそのものだったこと。
もう一度あの心が奮えるような仕事がしたいと思って、近しいスキルを身につけようと思って調べていた。



データの捉え方は人の数だけあるということ


調べる中でデータに魅力や可能性を感じたのは、
「同じデータでも捉え方は人の数だけある」
というところだった。

これを腑に落ちて知ったときは、
「私にしかできない捉え方で、仕事ができるのでは?」
「”自分にしかできない仕事≒自分しかやろうとしない仕事”があるのでは!?」と希望を持てた感じがあった。

その当時の私は、
『”自分にしかできない仕事≒自分しかやろうとしない仕事”は、もう自分のこの先の人生では、できないんだ。もう、生きたい自分で生きられない…。』と絶望していたから、”同じデータでも捉え方は人の数だけある。”という紛れもない事実が、落ち込んでたその時の自分には、もの凄く希望の光に思えた。


少し話は変わるけれど、

データもだが、人生だって、ものの見方一つとってもまったく同じだなと思う。
同じ光景を見ていても、捉え方で世界の見方がまるっきり変わってしまう。
データを通してそんなことを気づけたら、どんなに世界が豊かになるだろうと思った。


そもそも、現代はデータというものを、過信しすぎている世の中だと考えている。過信しすぎて、自分自身(感覚とか経験とか直観といったもの)を信じられない社会になっている。
自分軸で生きたくても、自分以外発信のデータないしは他者の意見の効力が強く感じすぎる。

それは、西洋的な思想が蔓延し、科学信仰に偏ったものの見方をする傾向が強すぎるのが原因だと、自分の中では結論づけている。

データなど、ただの測量値にすぎず、この世の殆どのことは相関関係であり、因果関係なんてほとんどないよな、と私は感じる。

あとがき

まぁやってみて『何か違うかも』と思ったらそれはその時考えれば良い話なので、今のところはこれがやってみたい!という以上の話は特にない。

今までの自分のスタンスとはまた違った自分として臨めるので、これまでよりワクワクする。
前の自分は恐れに感じていたことは今の自分にはそれらはほとんど何でもないことになった。

どんな世界が創り出せるのか、
どんな人生をデザインできるのか
自分自身が自分のことを一番楽しみにしている!

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