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展覧会「岡本太郎」を見てきました♪


こんにちは。
なつむです。


先日、美術鑑賞をしてきました。

鑑賞というより「体験」に近いかもしれません。


訪れたのは
東京都美術館
展覧会「岡本太郎」。


「芸術は爆発だ!」のセリフや
大阪万博の太陽の塔でも有名な
芸術家 、、、、と言ったら
太郎さんに怒られるのかな。
「本職?人間だ」とおっしゃった方なので。
そういう方。




岡本太郎さんと出会い直す


私は、比較的最近まで、
岡本太郎さんに
強い興味を持ったことはありませんでした。


太陽の塔の人でしょ?

原色を多く使った、
力強くて、
抽象的な、
ちょっと怖い感じもする、
不思議な絵を描く人だよね。


そんなくらい。

特に理解したいとも思っていませんでした。
(失礼!!)


それが変わったのは、
私が、人として憧れている友人が、
岡本太郎さんを好きだと知ってから。


夏に、
大阪中之島で、「展覧会 岡本太郎」が
開かれていることと、
それが秋には東京に来る、ということを知り、

「もちろん観に行きますよね?
 その時、一緒に観に行きたいですーー!!」

とお誘い(お願い)したのでした。


まだ見ぬ、芸術家、いや、本職、人間、
岡本太郎さんと、改めて、出会い直そう。

そんなつもりで、
多少事前に、「どういう人だったのか」
勉強した上で、
観に行ってきました。



事前リサーチですでにファンになった


展覧会を見に行く前日、
Google先生に、岡本太郎さんのことを聞きました。

いろんな方が彼について記事を書いていてくれて、
いろんな情報に、触れることができました。

いくつかの記事を読んで、
作品を改めて見る前から、
岡本太郎さんって、すごい人だったんだなぁと、
すごく引き込まれました。

展覧会に行ってから知ったことも混ぜてしまいますが、

すごいなぁと思ったのは、

若くしてパリで、自分で身を立てようと決意して、
パリにいた多くの日本人に「がっかりする」
という高い意識を持っていたこと。

絵を描く人としてはサラブレッドな環境に
生まれた人だったみたいで、実際才能もあった。
今で言う東京藝術大学に合格しつつも
入学後1ヶ月で、
親御さんのお仕事の都合で家族でパリへ行くことになる。
親御さんはその後すぐにロンドンへ移るものの、
弱冠18歳の太郎青年は
「自分はこのままパリに残る」という選択をします。

芸術の都、パリ、ですから、
日本からも多くの画家さんが来ていたそう。
でも、
日本人ばかりで集まっている、
帰国後の凱旋展覧会を楽しみに風景ばかり描いている、
という感じだったみたいです。

せっかくのパリにいるのに、
最先端の環境の中に飛び込んで
新しい世界にチャレンジしている人は
少なかった。
太郎さん的には
何やってるんだみんな!
っていう感じだったっぽいです。

必要は発明の母ともいいますが、
発明でもないんですが、
すごいなーって思うのは、
せっかく来たパリだから、
そこの画壇に挑戦をし、
そのためにフランス語を習得しちゃうこと。

いや、彼にしてみたら当たり前だったのだろうと
思うんですけどね。

強い目的意識があれば、手段としての言語の壁って
超えていけるんだなぁ、とはいえ。

フランス語、実際本当に大変だったのではと思うのです。

綴りと発音合わないし、男性名詞女性名詞とか
動詞の変形とかもややこしいんじゃなかったかなぁ。。。

今のような学習環境があるわけないし、

フランスの方々って
言語にも誇りを持っていらっしゃるので
(国連に来て英語が話せてもあえてフランス語でお話されるとか・・・・)

勝手な妄想ですが、
ちゃんとしたフランス語を話せない人に対して、
なんだか、手厳しそうなイメージがあって・・・。

絵という共通言語があると違うのかもしれませんが。

自分の語学コンプレックスが強いので、
すごく見える度合いがマックスです。笑


そして、太郎さんがまたすごいのが、
パリで「郷に入れば郷に従え」も、しなかった。

あっちのグループでも活躍して、
活躍したあと、
うーん、でも、ちょっと違うかも、
なんて、
別のグループにも入って。

(印象派、と、アバンギャルド、とか
 なんかそういうのだった気がする ←大事なところが曖昧)


後から見た、パリの美術の歴史的なうねりの中で
両方の流派に短期間で所属したのは
日本人としてだけではなく
世界規模で見ても異色だったっぽいお話で。

まさに「逸材」ということねぇ、と思います。


結構な期間をパリで過ごして、
その期間に描いた大量の作品と一緒に、
戦前の日本に帰国して、

動員されて、兵隊さんになって、
終戦後も外国でものすごい苦労をして、
やっと帰ってきたら。


青山のアトリエは全焼していて
パリ時代、それ以前からの作品も、
全部、全部、全部、
焼けて、
すべてがなくなってしまっていたのだそう。

手元に残ったのは、キャンバス1枚、
筆が2本、僅かな絵の具。


読んでいて、想像しきれなくて、
絶句しました。
どんな気持ちだったでしょうね・・・・・。



一つだけ間違いないのは、

戦争で太郎さんご自身の命が
失われてたら、その後の全てがないわけで、
生きていてくださって、本当に良かった・・・
ということ。

復員から2ヶ月後には芸術家としての活動を再開。
ものすごいエネルギーと馬力のある人なのですね。
復活が早い!



もともと訳がわかるように描いている絵ではない


事前に太郎さんの作品についての
いろんな世の中の解説を読んで、
更に、本番、現地で展覧会の絵を見て、

あぁ、なるほどなあってすごく思ったのは、

太郎さんは、一つの絵の中で、
具体的なものと抽象的なもの、
美しいものと醜いもの、
など、
対立しているものを、
 調和させずに、共存させる

ようにしていた、というお話。

途中で「対立主義」って名前をつけたって
おっしゃっていたかな。


そうか、この人の絵、
何が描かれているのかの訳がよく分からないのは、
当たり前なんだ。
それでいいんだ。

って、腹に落ちました。

そうやって描かれていると知れば、
そういうつもりで見ることができる。


わかりたい、
と、思ってしまっていたけれど、
「わかる」ものじゃないんだ、と、わかったら、
急にわかり始める、

言葉にするとパラドックスにしか見えない、
この感じ 笑

自分の中の、「わかりたい」欲求をすごく感じます 笑



どっぷりと味わう


展覧会 岡本太郎 は
一部の映像を除いて、ほぼ全部が
撮影可能でした。

嬉しい。。。。

一つひとつ、気に入った角度から
写真を撮りながら進みます。


今回は、最初から音声ガイド付きの
チケットにして、
音声ガイドも、聞きながら。

音声ガイドは、
阿部サダヲさんのナレーションでした。


私は、人と博物館や美術館に行くと、

どちらかというと、
人と話しながらめぐりたいことが
多いのですが、

実際、同じ友人と別のモノを観に行ったときには
ずっと一緒に話しながら巡っていたことも
あったのですが、

今回は、個人行動に。


それは、私のなかで、

友人は
私の存在を気にすることなく
大好きな岡本太郎の世界に
一人で没頭したいのではないか
という想定があったのと、

私自身も、
(音声ガイドはあることだし)

改めて岡本太郎さんという人と
出会い直す意味でも、

自分一人で作品と対峙したほうが
良いような感覚もあって。


途中、会えば一言二言交わし、

「ちょっと、この作品、一緒に
 写真撮りたいから、撮って」

「これ、一緒に撮ったげるよ」

という場面や

展示室を移るときには
待つ・待たれるはあったけれど、

それ以外ほぼ、
それぞれのペースで。

私も、一人で、
じーーーーーーーっと、
作品と向かい合いました。



身近に思えたし好きになった


作品全部を語り出すと
ものすごく長い話になるので
全体を通して思ったことを。


太陽の塔以外は、
ひたすら、
絵画のイメージがすごく強かったけれど、

彫刻・立体作品も
結構あることや、

産業デザイナー的に
日用品のデザイン・設計をしていたことを

初めて知りました。


とにかく「挑戦」し続けることが
使命のような生き様の人だったんだなぁ、

ガッツは本当にすごいなぁと思います。


ずっと、「権威」を挑発し、
誰かを・何かを触発し、問題提起をし、

そうやって生きてきたけれど、

お茶の間の人気者になってからは、
ご自分が「権威」になってしまわれて……笑

そこからまた新しいあり方を模索することも
太郎さんのの「挑戦」だったようで、

運命って面白いなと感じます。


太郎さんの絵から元気をもらえる、という人がいる、
ということを、事前のWEBリサーチで読んで、

「あ、そうなんだ・・・・」
とだけ受け取り、
そのときは理解できなかったけれど、


太郎さんを少しずつでも知り、
その作品を見ていくと、

清々しいくらいにまっすぐで、
エネルギーにねじれたところがなくて、

「すべての根底に、人間・世界に対するがある」のを
感じました。

太郎さんは昭和の男だろうから
「愛」なんて表現は、好まなかっただろうとも
思いますが 笑


作品を目の前にして、
そのエネルギーを受取るつもりで見れば、

原色の色使い、激しい、太く濃い黒い線、
絵の勢い、力強さ、

その根底に流れる
太郎さんの挑戦する姿勢、
エネルギーから

元気をもらえる」のが、わかる気がしました。


プラスからさらにプラスに向かう系のエネルギーではなくて
マイナスからゼロを突き抜けて行くような、

辛いときほど、見ると励ましてもらえるような、
そういう種類のエネルギーを感じます。


これは友人とも、終わってから
話していたのですが、

対立主義を貫いた絵画に比べて、
立体になっている作品というのは、
なんだろう、言葉ば難しいけれど、
穏やかというか、調和しているというか、
絵のような激しさとは少し違うものを感じます。

立体の場合、
二次元と違って、線と線を、破綻させられないんですよね。
物体としての境界線は必ず三次元の世界で収まっているわけで。

河童さんしかり、
ノンちゃんしかり、
犬の植木鉢しかり
(これは犬でも猫でもない四足だ、
 と書いてあるのに、
 作品名は犬の植木鉢と呼ばれる w)

どこか不気味だけれど可愛い。

あぁ、ついに、
この可愛さがわかるようになってきてしまった。
といって、友人とも、笑いました。

一つには、単純接触効果で、
見慣れた、ということも、ありそうです。

楽しい体験でした。



友人の心に一番残ったものは


終わってから、
友人の中に一番残ったものを聞いてみました。

すると、

「殺すな」

の絵(書)だということでした。


以前から、その画像を、
大事にしている作品だそうです。


これ、ちょうど、私は、
今回初めて見て、
言葉の強さ・重さを

受け取りきれないで、
帰ってきていたものでした。


太郎さんの作品には、
アメリカの水爆実験による
第五福竜丸の被爆事件などを
描いたものもあるので、

殺すな

と書かれると、条件反射的に

実際的な人命が関わる場面を想像してしまい、
言葉から、戦慄が走ります。


友人に、どういうふうに受け止めているのか
聞いてみました。


すると、もっと広い意味で見ていて

自分にとっては、
「感性を」殺すな、

というメッセージとして見ている、
ということでした。


今回の展覧会の音声メッセージでも、
太郎さんは

芸術はどんなふうに見てもいい、
自分にはわからないとか
関係ないとか
そうではなくて、

感じたもの、それが正解なんだ、

だから、
芸術と接することから逃げないで
もっと触れて行けばいいんだ

というようなことをおっしゃっていました
(だいぶ意訳してるかもですが・・・・)


その言葉からもすごく愛を感じて。


自分一人では受け取りきれなかった
「殺すな」も、

友人の世界観を借りて、
またもう一度、味わうことができて、

そっかー、そうだなぁ。

と、自分の世界の中に、
持ってくることができたのでした。



行ってよかった。行けてよかった。


詳しい人と一緒に巡る
(鑑賞自体はそれぞれでしたが、
 終わってからは色々話しました)

美術館、博物館。

大好きです。
とっても、楽しいですね。

もちろん、初めて見る人同士で
ワイワイ行くのも、楽しいですし

見慣れた人どうしで行くのも、
もっとマニアックな話がでて、
きっと楽しい。

人によって捉え方の違うところを
意見交換できるのが、
ものすごく好きです。



芸術の巨人、本職人間、
「岡本太郎」さんという存在に、

友人のご縁のおかげで、
一気に、ものすごく深く、

出会い直すことができました。


とっても幸せな、
芸術の秋、でした。




展覧会 岡本太郎 は年内、
12/28まで、上野、東京都美術館にて。

大阪は先に開催されたので終了していて
来年、1月から3月、愛知で開催されるようです。



今日は大作になりました。

お読みいただいて、ありがとうございました♪


ではまたーーーー♪


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