スーパーウーマン問題について

「スーパーウーマン問題」と勝手に呼んでいる問題がある。ちょっとすごい女性を見ると、「素晴らしい」「私も真似したい」と思う以前に「ちょっと私には無理」「違う世界の人」という印象を持ってしまう問題のことだ。

最近この問題について改めて認識したのは、社内の女性活用系のプログラムで活躍されている女性の話を聞くタイミングがあった時のこと。その方は、二度の出産を経験しながらも仕事で積極的なチャレンジを続け、幾度かの昇進もされている素晴らしい方。女性活用プログラム的に見れば、モデルケースのような存在の方だ。話を聞いていて、普通なら私なんてと一歩引いてしまうような場面できちんと意見を言ったりアピールをしたりして、自身の努力も怠らず、率直に素晴らしいなと感じた。

ところがその後参加者同士で会話するタイミングで出てきた話といえば、「私には真似できない」「ちょっと違う世界だと思った」「この人自身が能力が高いからできる」と。でた、スーパーウーマン問題だ。私も実は素晴らしいと思う反面、こういった思いを抱かなくもなかった。だから、後で会話した人が口々にそう言うのに共感もしてしまった。

何がそう思わせるのか?

なんとなくずっと引っかかっていたのもあり、その後無意識に女性のビジネスリーダーの本や女性の働き方系の本を手に取ることが多かった。その中で見つけたヒントをまとめる。

ワークライフバランスじゃなくてワークライフインテグレーション

どんなに社会が進歩しても1日は24時間で、だから仕事も家庭もバランスよくこなさなきゃいけない。これは不動の事実。しかし、この「バランス」と言う言葉に縛られると、仕事と家庭とて100%とした時、どちらも100%にならないことになってしまう。これは「仕事も家庭も中途半端」を意味してしまうのではないか。仕事も家庭も中途半端なくらいだったら、仕事なんて辞めたいとなりかねないし、仕事で成功したいとなったら人より頑張らないといけない、と言うふうにも捉えられてしまう。だから、スーパーウーマンだと思ってしまうのだという仮説が一つ。

元H&Mジャパン代表のクリスチャン・エドマンさんはそうではなく、ワークライフインテグレーション、なのだと言っている。例えば、仕事と家庭(プライベート)の境は、実ははっきり区切れない。家庭での経験が仕事に活きることもあるし逆もある。

スウェーデンでは、両方をインテグレート(統合)し、自分にとって一番心地よく、効率よく取り組める方法でやればいい、と言う考え方が根底にあります。
〜(中略)〜
2つを切り離したものと見て、バランスを取ろうとするから難しいのだと言うことに思い当たりました。バランスを取ることを考えるのではなく、2つを一緒にしてしまえばいい。

インテグレーションの例として、エドマンさんご自身のお父さんが子供の頃食卓でビジネスの話をしてくれたことや、仕事の会話でまず「家族は元気?」などと切り出すことなどを挙げている。私でいえば、(それに比べて具体的すぎるが)週末に仕事しなきゃいけない時など、「お母さんも宿題がたくさんあってさぁ。。」などと子供の宿題やってる傍で取り掛かるなどがインテグレーションの例なのかもなと思ったり(ちょっと違うけど結局仕事も終わるし子供の宿題も終わるからインテグレートだと思う)。

アサーティブであること

仕事や家庭の諸々をうまくやりくりしたり、ましてや誰かの上にたって動かしていくとなると、言いにくいお願いも時にはしないといけない。それができる人となると、どうしてもサバサバと人にお願いできるかっこいい人を想像してしまう。人にお願いするよりも自分が頑張る方が楽に思えてしまう。(過去の自分もそうだったかこれだと行き止まりがあり結局苦しい。)

この点に関して、どうやら「アサーティブ」という考え方があるらしい。「ビジネス・ゲーム」という有名な本で最近知った。

「アサーティブ」は日本語でいえば「感じの良い正当な自己主張」とでもいうのでしょうか。多くの女性が「自分を主張する」という習慣には慣れていません。ほとんどの女性にとってこれは新しく学ばなくてはならないスキルです。
〜(中略)〜
ここで大切なのは、「アサーティブであること」とは「自分の欲しいものをしっかり手に入れる。ただし、相手に反感を与えずに」ということを理解することです。

うん、なるほど。しかしやろうと思うと難しいなと思う。ポイントは「相手も正しい、そして、自分も正しい」というスタンスで話すことにあるらしい。今一度自分の言動を見直してみる。

罪悪感のマネジメント

シェリル・サンドバーグのLEAN INは子供を持ってすぐぐらいに一度読んで、その時はまさしく「スーパーウーマン、真似出来ない」と思った。でも、あらためて読んでみると、彼女もまた色々な葛藤の中で自分の道を切り開いてきた人だとわかる。「スーパーママ神話」の章はすごく好きだ。彼女もまた一人の母であり、子供と居られる時間の短さに罪悪感を感じてきている。

母親にとって、罪悪感のマネジメントは時間のマネジメントと同じくらい重要である。
〜(中略)〜
自分がやっていないことを数えたてて時間を費やすのは簡単である。多くの働く母親がそうであるように、自分を責める理由はいくらでも見つかるし、万全のサポート体制が整っているとはいえ、自分が手を広げすぎだと思うことは多々ある。だが仕事と家庭のせめぎ合いについてくよくよ考えず、目の前の仕事に集中するとき、私は安定し、充足感に満たされる。
〜(中略)〜
成功を定義しなければならないとしたら「自分にできる最善の選択をし、それを受け入れること」と私なら答えるだろう。

結局のところ

色々読んでみて思うのは、スーパーウーマンは結局スーパーウーマンなのだけれど、でも決して何かを完璧にこなしているわけではない。人がもつ時間は限られている中で、どこに重点をおくかを見極めて、周辺の人々や時間やその他のいろいろなものを、うまくインテグレーションしている、ということなのだなと思う。

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