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だってここは、わたしたちが生きてる世界。3.11

スマホの画面が光る。セブ留学のときに一番仲が良かった先生、リアからのラインだった。

「久しぶり。元気?」

たった一行の短いラインだったけど、優しいリアのこと、きっと新型ウイルスのことで心配してくれているのだろうとすぐに察しがついた。
わたしは元気だよ。そう伝えたくて、すぐに返信をした。なるべく心配をかけないよう、語尾に😂の絵文字をつけて、深刻な雰囲気を出さないように。

「本当?良かった」
「心配したのよ。日本はウイルスで大変って聞いたから」

冗談めいた雰囲気を出そうとしたわたしと対照的に、リアはわたしのことをとても心配してくれていたようだった。そのあと続いたラインからは、「みどり、そんな気楽で大丈夫なの?」と言われているような気さえした。

ああ、わかる。覚えている。リアがわたしに怒る理由。わたしも似たような思いを抱いたことがある。


あれは、何年か前の春。会社で大阪出身の新入社員と話していたときのこと。わたしの出身が福島だと言うことを知って、彼はわたしに東日本大震災の当時のことをあれこれ聞いてきた。

「その日はどこにいたんですか」
「家は大丈夫だったんですか」
「やっぱり誰か亡くなったりしたんですか」

後々気づいたことだけど、彼はとても素直な性格で、この一見デリカシーに欠けるような質問にも、悪気なんて決してなかったのだと思う。

それでもその時は、その言葉に傷ついた。どれだけの人が亡くなって、どれだけの人が家を失って、数えきれないほどの人が傷ついて。そんな大きな災害とその苦しみに、物珍しそうな視線を向けられたことが何より腹ただしかった。

彼は生まれも育ちも生粋の関西人で、聞く限り東北や関東に家族や友だちはいないようだった。被災者や福島出身の人に会ったのも初めてだったのだろう。3.11の傷跡がまだまだ癒えない中で、話を聞きたい気持ちはわかる。話すべきだ、と言うことも。

けれど同じ国の、日本の出来事なのに。海外旅行先で労ってくれた外国人もいたのに。同じ国に住む日本人から、そんな他人事みたいな言われ方をしたのが悲しかった。

わたしだって彼だって、当事者であることには変わりないのに。


リアだってそうだ。わたしがあまりにカジュアルな雰囲気を出そうとするから、当事者意識のなさを感じたんだろう。

「日本中で新型ウイルスが蔓延しているのに、みどりは気楽すぎる」って。

心配をかけたくなかったとしても、後ろめたさや思い当たる節が多かったから、このことを思い出したのだろうな。

わたしも人のことは言えなかった。同じ日本のことなのに、感染者の情報は身近にあるというのに。でもどうにもわたしには、同じく当事者意識の欠けている人が、たくさんいるような気がしてならなくて。今回の新型ウイルスだけじゃない、社会問題や様々なことに、どうにも無関心な人が多い気がしてしまう。

ここは、わたしたちが生きている世界だというのに。世の中の出来事に関心を持つことは、決して恥ずかしいことではないんだよ。


おやすみなさい。


世界はそれを愛と呼ぶんだぜ