忘れ得ぬあの人の言葉
「みどりが幸せになれる方法を考えるよ」
こんな、キザとも言える言葉をかけられたことが、人生で一度だけある。
今思い返しても、あの人との関係が恋だったのか、友情だったのかはわからない。
何歳か年上のあの人は、優しさを隠すために、自己中なフリをする不器用な人だった。猪突猛進に進みながらも後ろを振り返ってくれるから、兄のように思っていたのかもしれない。もしかしたらあの人にとっても、わたしは妹だったのかもしれないな。
触れたいわけではなかったけれど、二人でいる時間が何よりも居心地が良く、学生最後のほとんどの時間をあの人と過ごしていた。
あの人から投げかけられる好意の言葉は、プラトニックで、とても安心できるものだった。
そして、わたしの幸せを危惧してくれたその言葉は長い間、わたしの心の支えとなった。どうしようもなく落ち込んだとき、ただ何もやる気が起きないとき、言葉すら紡げなくなったとき、思い出していた。
卒業後、あの人はインドで起業したままなかなか会えなかったけれど、いつかきっと「見つけたよ、みどりの幸せを!」と言って会いにきてくれると、信じていた。
でもきっとあの頃のわたしは、何か勘違いしていたんだと、今さらになって思う。
だって、どんなにわたしを理解してくれる人だからって、あの人が思う幸せでわたしの幸せを推し量ることはできないよ。
わたしの幸せはわたしが決めることだし、たとえ幸せでなかったとしても、それを幸せに変えていくのはわたしだから。
自分の人生や幸せを誰かに預けるのはその人の自由だけど、少なくともわたしは、まだそんなことはしたくない。自分で探したい。
ああ、もしかしたらあの言葉は、わたしに自分の幸せを考えさせるためのものだったのかもしれないな。
あの人は自分の生きる道や幸せをきちんと自分で見定めていた。本当は、そういうことが言いたかったのかもしれない。勘違いをして、随分と時間がかかってしまったけれど、結果的にあの人は、わたしにわたしの幸せを教えてくれた。
数年ぶりに会ったあの人はインド人さながらに日焼けをしていて、最初は誰だかわからないほど。わたしがお腹を抱えて笑うと、「ほうれい線がすごい」と返り討ちに遭った。
時が流れて、その分変わったことも増えて、わたしにかけた言葉なんてすっかり忘れているんだろうね。でも、居心地の良い空気はそのままで安心したよ。
帰り際、「ありがとね」と言ったら、「好きだよ」と返された。
恋でもなく、友情でもなく、強いて言うなら兄妹なのかもしれないこの関係も、きっとわたしの幸せには必要なものだよ。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ