母の日を祝ったことがない
まだ小さかった頃、母の日にはりきってカーネーションを渡した。きっと喜んでくれるだろう、幼心を弾ませながら手渡した、うす紫色のカーネーション。母は「ありがとう」と笑った後に、「花は花粉が苦手なのよね」と苦笑いした。
そうか、お母さんは、花をもらってもそんなに嬉しくないんだな。それがわたしの、母の日にまつわる呪いのような古い記憶。それ以降わたしには、きちんと母の日を祝った記憶がない。
そんな母とわたしの関係は、29歳になっても未だに難しい。
母はヒステリックで、日頃から嫌味や不満を口にすることが多かった。よく当たり散らされたし、母が原因で友だちと遊べなくなったこともあった。母はそのことを忘れたのか気づいてもいないのか(たぶん後者)、やれ米は足りているか、やれ風邪は引いていないか、やれ会社の誰々さんが・・・のような話をわたしにしたがる。
わたしは母から着信がくるといつもため息をついて、2度の留守電をスルーし、3度目の電話でようやく通話ボタンを押すのが常だ。とんだ親不孝者なのに、それでも母はわたしが電話に出ると嬉しそうに笑う。
そりゃそうだ、母にとってわたしはかわいい娘。年に1回帰ってくるかこないかの貴重な存在。
ここまで話すと、わたしが過去のことをいつまでも根にもっているだけのように聞こえるだろう。実際そうだ。母はただ、わたしを愛している。でも実家を出て10年、時間が経てば経つほど当時の記憶は痛々しさを増していて。ある程度の年齢になって、大嫌いな自分の性格が家庭環境と母に由縁していることがわかってからは、尚更だ。
母のことは、親だと思っている。ただ、人として好きになれないから、冷めた接し方をしてしまうだけで。わたしはあわよくばこのまま、母と他人になれたらいいのにとさえ思う。
うす紫の、呪いの糸を断ち切って。
そのときはきっと、すっきりするのだろう。そして遠い未来で、後悔するのだろう。きちんと向き合えば良かったと。呪いの糸は断ち切れたわけではなく、見えないふりをしていただけだと、そう気づくのだろう。
それでもいいと、思えてしまうんだ。
わたしの苦しみを伝えたら、母をきっと傷つける。好きな人と結婚できず、苦悩の多かった母の人生の中で、わたしは小さな光。だから、自分がその光を黒く塗りつぶそうとしていたなんて、知ってしまったら。
そんなことになるくらいなら、連絡不精だけど年に1度は帰ってくる娘でいさせてほしい。何も気づいていないのならば、全部わたしのせいにしてほしい。
人としては好きになれない。けれど、親だ。傷ついてほしくない、大切な人であることには、変わりない。
母よ。これがわたしからあなたへ送る、精一杯の愛情です。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ