見出し画像

わたしが働く理由

働く理由、ってほんとうに色々あると思うのだけれど、わたしは何より同期のために働いているのかもしれないな。


入社して6年目になって、10人いた同期は3人になった。中間管理職が少ない会社なので、3人とも今はなかなか上の立場にいる。

ふだんは自分の仕事に忙殺されてなかなか周りを気づかう余裕もないのだけれど、ふとしたときに思う。
みんな、辛くないかな。苦しくないかな。ちゃんと寝られているかな、って。



辞めていった同期の退職理由は様々だった。

とりわけ一番辛かったのは、働きすぎて心と体を壊してしまった同期がいたこと。
彼女は仕事ができる人だったし、部署の管理職のポストが空いていたから、たくさんの仕事を任されていた。

日ごとに帰宅が遅くなり、そのせいで旦那さんと喧嘩をし、夜寝ていても「見積を作らなきゃ」と目が覚めてしまう生活。

もちろん、辞めないでほしかったなんて思うわけがなくて。彼女は仕事を辞めるべきだったと思う。彼女や旦那さんのために、辞めてよかったと思う。


ただわたしが後悔しているのは、彼女がそこまで追いつめられていたのに、何の力にもなれなかったことだ。

オフィスが違うから直接的にフォローすることはできないにしても、何かできたはず。
彼女が仕事に圧迫される前に、助けてあげられたはずなのに。

彼女の最終出勤日、嗚咽交じりの「ごめんね」しか言えなかった。それ以外に言葉がなかった。

退職することは、彼女の門出だ。なのに、ずっとずっと謝り続けた。

本当は、もっと一緒に働きたかった。



とめどない後悔の裏で、わたしが決意したこと。

働く環境はなかなか変えられないし、思うようにはいかないけれど、残った数少ない同期だけは、どうにか守りたい。支えたい、わたしの力で。

幸いわたしは、わりと自由な働き方ができる立場なので、とにかくその前例を増やしていこうと自分で動いたり、提案したりしている。

たったそれだけのことだけれど、会社全体の働き方を変えるには、そういうことから始めなければいけない。


もう二度と、あんな思いはさせない。
辞めてもいいから、晴れ晴れとしていてほしい。
癒えない傷を負ったまま、後を追われるように辞めるひとの姿なんて、もう絶対に見たくない。


***


今日は久しぶりに同期に会った。5年ほど同じオフィスで働いて、去年の今頃に異動した同期。

彼とは働き方も違うし、交わす言葉も多くないけれど、誰より信じているし、誰より本当のことを話せる人。

そんな彼が最近ずっと、仕事で悩んでいたことは知っていて。でも彼は、悩んでいるときに聞いても、決して弱音を吐かない。わたしもそれを知っているから、あえて何も聞かなかった。信じて、いたから。


「ちょっと前までは辛かったけど、最近乗り越えたよ」

帰り際、彼がわたしに呟いた言葉。それは、いつもの強がりではなかった。

うん。あなたなら乗り越えられるって、信じてたよ。
だから本当はあんまり心配してなかったなんて言ったら、怒るかな。

彼に対しては、信じる、というそれだけしかできていないけれど、少しは力になれたかな?






世界はそれを愛と呼ぶんだぜ