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ナポリの窓から恋人へ

旅に出る前は、いつもいつも、不安でいっぱいだ。

旅に出たくなんかなくなる。
だって怖いんだもん。
知らない国、知らない場所で。
知らない人に囲まれて。
知らない言語が飛び交う。
わたしだけ置いてけぼりにされたみたい。

怖いよ、普通に考えて。
アラサーだけどさ、わたしだって一端の女の子なんだよ。

「嫌だよ、怖いよ」

そういうと、あなたは、「はいはい」って呆れ顔をして、手は繋がずに、ただ背中だけを押す。

「大丈夫だよ。いってらっしゃい」

あなたはわたしのこと全部知ってるのに、なんで「大丈夫」なんて言えるのだろう。

びっくりするくらいの方向音痴で、計画性ゼロだし、英語も全然できないし、体力ないからすぐ疲れちゃうし、日焼けするの大嫌いだし、暑がりだし、口下手。

ばかばか。
わたしが欲しいのは、そんな言葉じゃないのに。
わかってるくせに。
いつも絶対言ってくれない、その言葉。

「行かなくてもいいよ」って、言って。


***


旅は、喜怒哀楽のすべてを呼び起こす。

ヴェネツィアでは、鐘楼からの眺めに涙して。
苦手なハトのせいで何度も心肺停止した。

フィレンツェでは、見事にスリの手に引っかかり、€10を盗られるはめになって。
わたしのやりたいことを実践している、日本人女性に出会えて、話を聞けた。

ローマでは、トラットリアで店員さんに忘れられて放置されていたわたしを、周りの人みんなが助けてくれた。
テルミニ駅のスーパーが見つけられなくて、1時間近く、スーパーがある場所の目の前をさまよった。

いつでもどこでも、おいしいジェラートと。
計画性と行動力が試される旅路。
綺麗な景色は、ただそれだけで、わたしを圧倒する。

結局いつも、なんであんなに行きたくなかったんだろうって思うくらい、旅はわたしにたくさんの感情をくれる。

ああ、いまこの場所にあなたがいたら。
日陰を作ってもらってその中で丸くなるのに。

ああ、いまこの場所にあなたがいたら。
もっといろんな種類のジェラートを食べたのに。

ああ、いまこの場所にあなたがいたら。
スリに騙されることも、トラットリアで忘れられることもなかっただろうな。

あなたはわたしのこと、全部知ってるから、「いってらっしゃい」って言ったの?


***


いつもあなたを待っていただけのわたしだったのに、いつのまにか、わたしがあなたを待たせてしまうことのほうが増えているね。
いつも、ありがとう。

でもね、わたしは、あなたに伝えたい。

綺麗だね。
疲れたね。
おいしいね。
暑いね。
びっくりしたね。

あなたに向けたこの言葉たちを、わたしはこの旅で何度、飲み込んだだろう。
一体何度、あなたの姿を探して振り返ったことだろう。

だからね、今度からはね。
「一緒に行こう」って、言って。

わたしはきっと、そのとき動いた心のすべてをあなたに話すから。
一緒に笑ったり、飽きれたり、喜んだり、困ったりしてね。

ひとりきりではただ過ぎ去ってしまうこの風の匂いも、ふたりならきっと思い出せるよ。

ねえ、恋人。


世界はそれを愛と呼ぶんだぜ