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ええもういくん?天国に?

「ワッツユアネーム?」
初めて彼女に会った時、彼女は日本語訛りの英語で私にそう話しかけてきた。
「アイムナツミ」と、「ナツミ」の部分を日本語そのままのイントネーションでは発音せずに、英語仕様のイントネーションにして、私は自分の名前を告げた。
「やっぱ日本人やった!」彼女は喜んだ様子で、すぐ斜め前に座る私の肩をポンと触った。彼女は卵かけご飯を食べていて、周りの外国人は、それを不思議そうに眺めていた。

 イチジクとアボカドを育てている農園でピッカーの仕事が見つかった。ゲインダーという小さな町から車で三十分の、文字通りに何もない場所にある。イチジクの時期が終わったらアボカドの収穫期になって、アボカドの旬が過ぎたらイチジクを摘んでと、一年中稼働している、そこそこに大きい農園だ。私が働き始めて彼女に出会ったのは、イチジクが実をつける三月だった。日本と季節が逆転するオーストラリアでは秋だ。

   農園で働く楽しみは、自分が収穫する食べ物が食べ放題なこと。チェリーを摘んでいた時は、朝ご飯代わりに、おやつ代わりにと、毎日のように沢山食べていたが、それでも飽きることはなくて、多少の食費が浮いたようにさえ思う。アボカドも、木から落ちた実を持ち帰って、よく熟れるまで放置して食べた。だけど、イチジクは一度も仕事中にもぎって食べることはなかった。まず、イチジクなんて今までに食べたこともなかったし、どうやって食べるのかもよく分からないし、個人的にあまりそそられるフルーツではなかった。ステーキにイチジクのジャムをつけて食べると美味しいと農園のオーナーが言っていたけど、少し疑わしい。

 私以外にワーキングホリデーで働いている外国人は七人ほど。フランス、ドイツ、イタリアなど国籍は様々だ。他には、農園のオーナー夫婦、オージーのステイシー、ベトナムからの移民女性ミーがいる。二人一組でイチジクを摘む係、バギーを運転して摘まれたイチジクを回収する係、回収したイチジクを出荷用に選別(これは主にオーナーがやる)する係に分かれて、イチジクは市場に出回っていく。

   仕事は朝6時半から始まり、一日に二回スモーコー(オーストラリアのスラングで休憩という意味)をとる。卵かけご飯を食べる彼女と話した時は、お昼休みだった。

 彼女は大阪出身の元看護師。突然仕事を辞めて世界を旅し始めたそうだ。隣に座る彼氏は、オーストラリアで出会った7歳年下のフランス人。甘えん坊な年下彼氏を軽くあしらいつつも、その面倒見の良さが滲み出ている人だった。
 しばらく日本人に出会すことがなく、「そろそろ日本語喋りたいんやけど。」と、彼氏にぶつくさ言っていた時に、私がこの農園に来たと言っていた。異国に居ると解放的になるからなのか、それとも彼女だからなのか、私達はすぐに仲良くなった。

 話し上手で、聞き上手でもある彼女と一緒にいると、自分のことを話すのが苦手な私が安心してベラベラと喋ることが出来た。なんかお姉ちゃんみたいだと、いつも思っていた。誰にでも同じ明るさで接することが出来る。そして、明るさだけではなくて、エンパシーもある。ネガティブなことにも辛抱強く、対峙するというよりはそれこそ向き合って、会話を重ね、最終的には抱き締めてくれるような、大きな優しさを持った人だった。看護師って、やっぱりこういう人じゃないと出来ない職業なのだと思った。こういう人がいつも近くに居たら、自然と元気が出て、笑顔になって、力になると思う。彼女のちゃきちゃきとした大阪弁もまた、彼女の人柄を際立たせていた。少し粗々とした語り草の裏に、その優しさが見え隠れする。私は彼女の大阪弁が大好きだった。

 彼女に会った最後は、2年前、真冬になる手前の乾燥した東京だった。地下鉄に乗ると、効きすぎた暖房で暑くなって、大きなマフラーを外して膝に置いている人がいた。

 渋谷の宇田川町にあるカフェで待ち合わせをした。元気そうな様子で、ビールを飲みながら辛辣に彼氏の愚痴を言う、相変わらずな彼女に安心した。本当は結婚なんてしたくないけど、彼氏と一緒に居る為に仕方なく籍を入れるのだと何だかんだ嬉しそうに話していて、彼氏のことが大好きな彼女が、私は愛おしかった。そういえば、二人で写真を撮り忘れたことを今、思い出す。それが私の、彼女の最後の思い出。

 二〇二〇年十月二十日。彼女はフランスで息を引き取った。子宮頸癌が肝臓に転移して、物凄いスピードで彼女の命を奪っていった。

 彼女が亡くなる約一ヶ月前に、主治医に余命宣告を受けていたことを知った。帰国することを断念した彼女に、私はただ「早く帰ってきて。」としか言えなかった。他に何て言えば良いのかわからなかった。だって、帰ってくると思っていたし、彼女が死んでしまうなんてことを、きちんと受け入れることなんて、あの時は間違っていると思っていた。医療技術は進歩しているし、きっと、生き長らえる。そうやって勝手に自分の中で希望を捏造して、それをまるで、本物のソレとして持っていることで、逃げることを正当化していた。でも、本当は、心の隅では分かっていた。その希望は、彼女がとっくに先を見据えて諦めたものだった。

 彼女が治療を諦め、穏やかな余生を過ごすと言うのなら、私も同じく覚悟を決めて、絶対に避けられない、目前にある死に向かう彼女にそれなりの言葉をかけなくてはならなかった。せめて「ありがとう」と、言わなくてはいけなかった。言えなかった。言いたかった。

 メッセンジャーを開いたら、まだ、あなたが居る。黒い牛の銅像だか人形みたいなものに乗っかって、丸い淵の中からこちらを斜めに見ている、あなたがいる。不思議だ。メッセージを送ったら、明日、返事が返って来そうだ。

 そういえば、昨日はあなたのことを思い出すことはなかった。あぁ、自分はもう忘れるのかと、うっすらとした罪悪感を感じた。これは正しい罪悪感なのだろうか。自分に聞いても、分からない。人間は良くも悪くも、忘れることが得意な生き物だ。こうして私は少しずつ、そして都合良く老い行く自分の脳味噌に、抗う術もなく支配され、あなたのことを完全に忘れてしまうのかもしれない。もしそうなったら、許して欲しい。

 それでも、今も目に浮かぶ。大阪弁で、小柄なあなたが私を見上げながら話す姿。
「ここの農園、意外に時間に厳しいから、六時半スタートやったら、十五分には着いてたほうがええよ。」
「ステイシーってゆう、スーパーバイザーがな、めっちゃ気分屋でイライラして八つ当たりしてくるから、ペアでピックする時は気ぃつけた方がええよ。」
「仕事行く時、みんなでカープールして行ってるから一緒に行こうや!お金ないんやろ?」
「明日の夜、ベンの家で飲むからおいでや!」
「最初は美味しく食べてたけど、イチジクなんてもう飽きたし、もう見るのも嫌や。」
「”definitely”って発音、めっちゃむずない?」
「コンドームは旅する男の子の必需品やで。」
「ほんま、甘えん坊で感情的で面倒くさいわ!ちょっと冷たくするだけで、『君は僕のことをもう愛してないのかー?!』ってヒステリックになんねん。毎回それを落ち着かせて、ひとつずつ整理させんねんで。『うちら今そんな話してないやろ?』って。」
「人生なんて、みんな迷子やで。」

メッセージを送っても、返事はもう返ってこない。
ありがとう。
ありがとう。

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