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映画『グリーンブック』を見て思った色々なこと

先日ようやく、映画『グリーンブック』を見た。

前々から見たいとは思っていたものの、映画を見るということが私の日常の中にルーティン化されていないので、TSUTAYAのカードもご丁寧に葉書でお知らせまで送ってくれるのに、毎年期限内には間に合わず、何ヶ月も過ぎてから更新しに行くくらいだ。

『グリーンブック』を借りた日、本当はジム・ジャームッシュ監督の最新作『デッド・ドント・ダイ』を見ようと思っていたが、ショッピングモールに着いた頃にはゾンビ映画を見る気分じゃなくなってしまい、結局見ずに帰ってきてしまった。でも、何かしら映画が見たい気分だったので、期限の切れたカードを持ってTSUTAYAに行き、この映画を手に取った。それにタイミング的には、まさに今見るべきだろうと思った。

ネタバレしないように、引用したあらすじをここに添えておく。

 『グリーンブック』(Green Book)は、2018年のアメリカ合衆国の伝記コメディ映画。ジャマイカ系アメリカ人のクラシック及びジャズピアニストであるドン"ドクター"シャーリーと、シャーリーの運転手兼ボディガードを務めたイタリア系アメリカ人の警備員トニー・ヴァレロンガによって1962年に実際に行われたアメリカ最南部を回るコンサートツアーにインスパイアされた作品である。 『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

この映画の中で、トニーは黒人に対して差別意識を持っている。トニーの友達たちも同じように、彼らのことを「二グロ」と呼んだり、乱暴な人種だと決めつけたり、イタリア語で分からないように罵倒している場面がいくつもある。

そんな描写を見ていて私が感じたのは、みんなただそうやって「言っているだけ」であって、本当の心の底には差別の意識なんてないんだってこと。

例えるなら、精神過敏な中学二年生。学年のボス的存在の子が「〇〇ってウザくね?」と言い始めたら、みんなもその子のことを「まじウザい」と言い始めてしまうような感じ。ウザいなんて、それまで一度も思ったことがないし、現在進行形でもそんなこと思っていないけれど、とりあえずみんなと足並み揃えて言っておくか、という理由だけで簡単に言葉を武器にしてしまう、あの中学生のトゲトゲした雰囲気。

私はトニーと、トニーの友達たちを見てそう思った。周りがそうしているし、そう思っているから、自分も無意識に同じことを”思わされている”ということに気付いていない。「二グロ」ってみんなが言っているから「俺も」って、ただ言っているだけで、本当に腹の底から黒人達を罵ってやろうなんて気持ちは全くない。それが正しいことなのか、そうではないのかと自問することなんて二の次、というよりはむしろ、頭にすら浮かばずに思考が停止しているのだ。

でも、それは彼らのせいではない。あくまで、そう仕立て上げてしまった政治だったり、人を蝕む過激な思想だったり、社会が思考を停止させてしまった。2020年になっても、思考が停止した人たちが常に一定数いるせいで、残忍な事件が繰り返されていることに、大袈裟ではなくこの世界に絶望を感じる。しかもその一定数の人達は、同じ考えを持つ人達をまた新たに生み出してしまう。その連鎖はもう止められないのだろうか?

ある黒人男性のインスタグラムで「なぜ自分たちは新しい教科書や道具がもらえないのか?」と12歳の時に学校の先生に聞いたら、「君たちには良質な教育を受ける価値がない。私が教えようが教えなかろうが関係なく、私には給料が支払われる」と言われた、という経験を話しているビデオを見て、もう目を瞑ってしまいたくなった。

なぜなら、知らなかったから。私はそんなことがずっと、誰かの日常の中にあるという事実を知らなかった。元々ないキャパシティーに残酷な事実を突きつけられて、自分が立っている足元が丸く切り取られて、真っ暗な真下に落ちていく感覚がした。怖い。そう思った。

以前に見た動画で、お笑い芸人グループの超新塾のメンバー、アイク・ヌワラが『VICE News』で話していたことを思い出した。
「日本人はレイシストじゃないと思う。彼らはただ知らないだけだ」

これはまさしく私のことだ。「知らない」ことが知らず知らずのうちに、もしかしたら私は今までに誰かを傷つけてしまったかもしれないし、「知らない」ということは、思考を停止させていることと何ら変わりはないのではないか。思考が停止していたのは、他でもない自分だったのかもしれないと思った。

人種差別だけでなく、様々な問題に対してのアプローチの仕方は人によって違う。SNSでたくさんシェアしてくれる人、募金してくれる人、誰かと話し合う人、自分の中で考える人、文章を書く人、絵を描く人、音楽にする人。

私はSNSで流れてくる動画や投稿を見ては、きちんと向き合うのが怖くて目を瞑り、その数時間後にはくだらないYouTubeを見ている自分に反吐が出るような罪悪感を感じて、これじゃいけないと思って、また携帯を開いては閉じて、開いては閉じての繰り返しだった。けれど、ここまで書いたことをずっと考えてきて、時間はかかったがようやく文章にしようと思った。これもまた、私なりの向き合い方だ。

幸い、私たちの手元には、知りたいことを何でも調べてくれるインターネットがある。理不尽な理由で虐げられている人たちに胸を痛め、寄り添いたいという気持ちが少しでもあるのなら、「知ること」がきっと彼らの力になる。少しずつ自分なりの方法で向き合えばいい。思考は止めちゃいけない。

『グリーンブック』はようやく私にその機会を与えてくれた。重いテーマだけれど、人と人の繋がりに肌の色なんて関係ない。今もこれからも、一番大事にしないといけないことを改めて教えてくれる良い映画だった。まだ見ていない人は是非。

*公開しようかどうか書きながら悩んだけど、旅が好きで色んな国に友達が居る一人のアジア人として、差別のないより良い世界になることを祈って、考えをシェア出来たらと思いました。ここまで読んで頂いて本当にありがとうございました。 

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