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さかなクンになれなくてもいい

前回の日記『水谷さん』でこんなことを書きました。
「自分が思わず猪突猛進して叶えたい夢や目標がないということがコンプレックス、ということも最近ようやく分かった」

昔から私は飽きっぽい性格で、ひとつのことが長続きしない。同じことを長時間続けるのも苦手だし、興味があっちに行ったり、こっちに行ったりとして、何かを「ルーティン化させる」ということが大の苦手です。

例えば、読書。本を読む時期は取り憑かれたように、次から次へと買い漁り、読み漁り、家でも電車でも仕事の休憩中も、お風呂の中でもとにかく読む。でも、ある地点を過ぎると、急に本を読む気がなくなってしまい、そこから何ヶ月も本を読まない日が続く、なんてことがザラにあります。その間は他のものに興味が湧いていて、また何かの拍子で読書に戻ってくるという循環。バスで言うなら、始発と終点が「読書駅」で、その間にたくさんのバス停「Netflix」「英語」「音楽」「絵」や「怠惰期(携帯いじりまくる)」などが並んでいて、しかもそれぞれのバス停の距離間がまばらだから、その事に向き合っている時間もまばら・・・という具合です。

もし、私がこの読書のルーティンをずっと続けていたら、今頃は若くして村上春樹さんに次ぐ、なかなかノーベル文学賞が取れない小説家になっていたかもしれないです。もしくは、校正者さん(性格的に向いていない)とか、英語も同じように極めていたら翻訳家(いや無理すぎる)になっていたかも。

この私の長続きしない弱点を考える時に、必ず頭に浮かぶ人物がいます。
ギョギョッ!そう、さかなクンです。

彼は本当にすごい!私はあんなに魚が好きな人間を、今までに一度も見た事がありません。知識もさることながら、画力もとてつもなく高い。そして美味しそうに、有り難くお魚を頂く姿は、お魚への愛をひしひしと感じます。

そして何といっても、彼の魅力を最大限に表しているのは、あのハコフグの帽子だと個人的に思います。以前、さかなクンが参考人として、水産資源の保護と管理について国会で意見を述べてられていましたが、帽子の着用は禁止されている国会で、彼の帽子は特例として認められていました。これが中途半端に被ったり、被らなかったりしていれば、国会では認められなかったのではないでしょうか。

彼はあの帽子を「皮膚の一部」と常に公言していた通り、貫き通せば、本当に自分の一部として認められるということを体現されています。もちろん注目すべきは帽子以上に、彼は国会にお招きすべき非常に博識な方という事実です。

机に置かれたネームプレートは彼の本名、宮澤正之ではなく、もちろん「さかなクン」。そして、国会での一言目は挨拶に始まります。
「本日は大変貴重なギョ(ご)機会を頂きまして、心よりありがとうギョ(ご)ざいます(ぺこり)」
姿勢をどこまでも崩さない!(この国会はYou Tubeで見られるよ)

話は逸れましたが、ひとつのことをずっと集中してやっていたら、その道へ突き進むことが出来ますが、私にはそれが出来ませんということです。

「1000時間費やしたら、自然とその道のマスターになれる」という言葉がありますよね。一応、時間の話になるといつも計算だけはしてみるのです、自分自身に生産性を求めるために。えーと、24×365を私はもうすぐ30歳だから約262,800時間生きてきて、例えば80歳で死ぬとしよう。1日7時間睡眠時間とトイレの時間などなどを引いてと・・・・あー、やめやめ。

自分にはそれが出来ないということを認知してから、さかなクンのようにひとつのことを愛せる人をずっと羨ましく思ってきました。以前にお付き合いした方が、「好きなこと・やりたいこと・叶えたい夢」の三拍子が揃っていて、いつも目がキラキラとしていました。私の悩みに対していつも「大丈夫!いつか見つかるよ!」と言ってくれていましたが、今思うと私は「そんなのなくてもいいじゃん?」と言って欲しかったのかもしれません。

月日は流れ、モヤモヤとした気持ちは晴れることがないまま、試行錯誤が続く日々を過ごしていました。

その中のある時期に、私はアルバイトを三つ掛け持ちしていました(忙しかった・・・)。現在もほぼフルタイムで働きながら(残念ながらコロナウイルスの影響で休業中だけど)、その隙間時間をやり繰りして、有難いことに書き物でお金を頂いています。私はそれらを両立させることが、難しいことだとは思っていなかったけれど、ある一定の人からすると物凄く器用なのだそうです。そのことに気付いた時に「あぁ、これが私に出来ることなんだ」ってようやく思えました。

どうして自分はひとつのものを愛せないのだろう、追求できないのだろうと考え続けて、それをコンプレックスに感じていましたし、愛せる人達は私の隣でとてつもなく青い芝生に座っていました。

しかし今は「なりたい自分」をつくり上げて、「なれない自分」に罪悪感や失望感を感じて自分をいじめてしまうより、今自分が持っている素材で料理をした方が、自分の気持ちが軽いし、楽だし、美味しい。

そしてそこに「さかな」はなくてもいい、ということに気付けたので「コンプレックスだった」が正解です。これを以て、訂正させて頂きます。

最後までお読み頂き、ありがとうギョざいました(ぺこり)。ちなみに、さかなクンの好きな言葉は「一魚一会」(一期一会)です。

*写真:ヤンゴン(ミャンマー)のストリートマーケットから魚売りの女性

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