機内食は餌やり?

「機内食は動物園の餌やりのようだ。」

いつだか、暇つぶしにYouTubeで見つけた深夜枠のお笑い番組で、ある芸人が溢していた一言だ。この表現に妙に納得させられたから、今でもしっかり覚えている。その人は、だから機内食は好きになれない!と言っていたが、私はさして嫌いではない。むしろ、機内食というイベントを楽しんでいる部類に入るだろう。

私が今乗っている羽田発ドバイ行きの11時間に渡る壮大な長距離便でも、CAの装いをした飼育員による餌やりの瞬間がまさに訪れようとしている。

彼女らの間で了承された定刻(客はそれを知る由もないから、ただ大人しく、今か今かとその時が到来するのを見守るしかないのだが)を過ぎると、前方の席から順にきっかり一人分のプレートが配給されていく。それまで映画を観るなり仮眠を取るなりして暇をやり過ごしていた乗客たちは、その合図を認めるや否や目の前に備え付けられた折り畳みテーブルを開け、思い思いのテーブルメイキングを始める。

「Fish or Chicken?」

メインディッシュと飲み物の選択肢が用意されていることは、空の上での我々の希少な自由権だ。肉か魚の二択しか無いとか、ドリンクに烏龍茶があった試しが無いとか、そういうことはここでは問題でない。”選ぶ行為が与えられている”ということが何よりも肝心なのだ。エコノミークラスでは窮屈な態勢でWiFiを使うことも許されず、動画コンテンツを観たり、それにも飽きたら無理やり目を瞑ったりしながら時が過ぎるのを待つ。こうした制約尽くしの空の上では、些細な自由にすら人権を見出してしまう自分がいる。一度飛行が始まると、自分の命運も食事も全てを操縦士とCAに委ねるしかない肩身の狭い身分だけれど、それでもただ餌を待つ上野動物園のパンダとは違うのだと、なぜかここで安堵してしまう。

機内食の存在意義は長旅の空腹を満たすことにあるのだから、地上と同程度の味は無論期待してはいけない。そう頭で理解しながらも、私は毎度写真を撮っては各航空会社の機内食の自主品評会を行っている。

それにしても、和食だろうがパスタだろうが、どんなメインディッシュにも必ずパンがついてくるという問題に関しては、私は未だにその真因を解くことができない。他の炭水化物に追い討ちをかけるように、パンはいつだって律儀にそこにいるではないか。機内食界の皆勤賞。航空会社はこの付け合わせのパンに対して、異常なまでの忠誠心を持っているようだ。

そしてデザート。毎度始めの一口で、糖分計測器を突っ込んで測ってみたい衝動に駆られる、あのケーキやムースたち。まるで砂糖漬けだ。香りはおろか、甘さ以外の一切の味わいを感知させまいという屈強な意志さえ感じる。しかし、意図を汲まずに一方的に文句を垂れるのは良くない。例えば機内生活のあまりの退屈さに隣の客とBrexitの賛否について議論をしたくなった時、確かにこのくらいの糖分は必要だという飼育員側の配慮なのかもしれない。

まるで餌を待つ動物のようだ・・・・・

毎度その一言が頭をよぎりながらも、結局はこの滑稽な餌やりの時間を心待ちにしている自分がいる。空の上とは全く不思議なものだ。機内食の味や品目にああだこうだ思いながら、食後のコーヒーをそこそこの充足感とともに啜る。そんな独りよがり品評会もまた、長距離フライトの醍醐味なのである。

さて、今回のエミレーツの機内食はどんなものだろう。昨年の夏真っ盛りのトルコ旅行へのフライトでは、私は喉を潤すために、確かビールを頼んだのだった。その時、咄嗟に年齢を尋ねてきたトルコ航空のお姉さんの、全く信じられない!!といった表情は今でも忘れられない。海外では14歳と間違われるほどの天賦の童顔を持つこの私が、機内で胸を張ってアルコールを頼める日は果たしてやってくるのだろうか。

ひとまず今日は、コーラで手加減してやろう。


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