沖縄のフェリーでくじらを発見
9時のフェリーで伊江島へ行こうと思ったものの眠くて断念。フェリー乗り場まで徒歩5分だというのに。
11時発に変更し、昨日買ったバナナを朝ごはんに食べる。たしかに3種類とも味が違って、アップルバナナは酸味があり、アイスクリームバナナは柔らかく、普通のバナナっぽいという名称を忘れたバナナはなるほど普通のバナナの感じ。
伊江島に着いて、ひとまず昼ごはんを食べようと歩いていたら戦争資料館があった。伊江島の建物のほとんどは崩壊し、住民1500人が亡くなったそう。なお、現在の伊江島の人口は約4000人。パーセントにするとつらい。
もちろん米兵に殺された人もいたけど、日本軍からスパイ容疑をかけられて殺されたり、自決を迫られたりと、日本軍による被害も大きかったとのこと。「捕虜になったら殺されるから、その前に自決しなさい」と各家庭に手榴弾が配布されたと書いてあった。実際に自決するも、即死できずに苦しんだ人も多かった様子。
「捕虜=死」と思わされている中、「どうせ死ぬなら防空壕の暗闇ではなく太陽を見て死にたい」と外に出た人たちが結果的に捕虜となり生き残ったというやり切れなさ。米軍を責める要素は少なく、全体的に日本軍に対して批判的な展示だった。
お昼ごはんはおじいさんが一人でやってるお店。店内には呪術廻戦と鬼滅の刃のパズルがたくさん。おじいさんのお子さんがパズル好きで、それを見たお孫さんもパズルをやるようになり「おじいのお店に飾ってよ!」という経緯だそう。優しそうで幸せそうなおじいだった。食後にはアイスコーヒーまで出してくれた。
ランドマークの伊江島タッチューへ向かう道中の看板がよかった。大人になってもニッコリあいさつ!は大切。
伊江島タッチューの頂上からの景観は沖縄八景の一位に選ばれたこともあるそう。
頂上では千葉からの修学旅行生5人と引率の島民のおじさんと居合わせる。おじさんは東北出身でもう長く伊江島に住んでいるそう。「この時期はここからくじらが見えることもあるよ」と教えてくれた。
島に高校はなく、中学卒業後は寮に入るか一人暮らしをするらしい。「優秀な子がダメになるのをたくさん見たね」とおじさんは笑っていた。高校生で一人暮らししたらそりゃそうなる。みんなの格好の溜まり場。
散歩中、畑を耕すおじいさんがいた。さっきの戦争資料館によると、島民の皆さんが帰島したのは終戦2年後の1947年。荒れた畑を耕すと遺骨がたくさん出たそう。目の前のおじいさんと当時の様子を重ね合わせる。
結局、滞在4時間半で島の右下をぐるり。最後はちょっと駆け足。あと1時間くらいほしかった。
帰りのフェリーでくじらいないかな〜と海を眺めていたら「こっち!」とお兄さんがうれしそうに手招きしていて、もしやと思ったらやはりくじらがいた。「元気な子」とのことで、しばらくバシャバシャしていた。「写真撮らなくていいんですか!?」と言われ、撮らないと悪い気がして撮った。
お兄さんいわく、「今の時期は1日フェリーに乗っていれば一度はくじらに遭遇するくらいの確率」とのこと。今日はこれが初くじらと言っていたのでラッキーだった。昨日の海亀に続き、予期せずいいものを見てしまった。
夜の飲み屋は不思議なメニュー。男子大学生が好きなものを詰め込んだみたいな品揃え。パワースポット好きなお兄さんとラッパーのお兄さんが2人でやっているお店だった。
二人は本部育ちで、学校の遠足で伊江島タッチューをみんなでぞろぞろ登ったとのこと。頂上は柵のない剥き出しの崖。引率の先生が大変そう。
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