門司港の女将のようになりたい
ひと仕事終えてランチへ出る。体に良さそうなものが食べたかったので、豆皿がたくさん並ぶ定食屋さん。豆皿は出かけた先で細々買い集めているそうな。
小さいお皿はかわいいけど自宅で使う機会はそうないわけで、「お店で使うから」という大義名分があるのはちょっとうらやましい。
「薬物の密輸の展示が面白かった」と妹から勧められた旧門司税関は、麻薬探知犬の説明が面白かった。理由はわからないけど、麻薬探知犬としての活動期間は7年と決まっているらしい。
京都で読んだ清水玲子の「秘密」で見た、本の中に銃を隠し持つやつの実物もあった。現実で見るとしょぼい感じがしてしまうのはなぜ。
あまり気乗りしなかったけど、夜はサクッと食べに行く。引き戸を開けるとカウンターにはお客さんがズラリ並んでいて、常連の皆さんという雰囲気。あまり社交的な気持ちではなかったのでミスったか〜と思いながら席に着いたら、小学生の元気な男の子が「宣伝です!」とチラシとしおりをくれた。小学5年生にして絵本作家だという。
あとで聞いたらカウンターのお客さんは全員県外から来ていて、当然初対面。男の子が求心力となり場をまとめていただけらしい。
少年はエネルギーの塊という感じの子で、微笑ましく思いながらも少し当てられてしまった。わたしは長時間太陽に当たると頭が痛くなる人間。小学生のお子さん全般に対して、陽が強すぎると疲れてしまう。
間も無くお客さんは全員帰り、女将と二人で話す。
女将はこのお店を初めて40年。今でも自分はまだまだという気持ちでいるのに、周りからはベテラン扱いをされてしまう。ゆえに最近は発言を控えているという。
わたしも37歳になり、自分の発言が思ったより重く受け止められてしまうことがあるのを感じていたけれど、同じ悩みは40年仕事を続けた先にもあるらしい。
女将は70歳くらいで、子どもはいない。お店が好きで、タイミングを見計らううちに機会を逃したと言っていた。失礼でむごい質問になってしまう自覚はありながらも、あの時子どもを産んでおけばと思うことはないのか聞くと、「ない」とのこと。
「自分の遺伝子をわけた子どもがいたらどんな感じだったんだろうと思うことはあるけど、いないから私は私でここまで生きてこれた」と女将。自分の属性が母や祖母に変わらなかった分、「私は私」という感覚が強くあるらしい。
現に70歳になる今まで呼び名は変わらず、年下のきょうだいが多かった延長で姪や甥からの呼び名はお姉ちゃん。お店では女将かママなわけで、おばちゃんやおばあちゃんと言われることはほぼないとのこと。
彼女は30代で離婚し、40過ぎで再婚。今より子どもがいないことや離婚への風当たりは強かったはずで、今のわたしが独り身で全国をぷらぷら好き勝手回れているのはこういう先輩女性たちのおかげだよなとしみじみ思う。そんな話をしたら「生きやすいやろ?」と女将はニヤリ。
「この年まであっという間やで。どうせ死ぬし、50年後にはみんなから忘れられとるし、どうにでもなるし、好きにしたらいいわ」と励ましのお言葉をいただいた。
女将は考え方や感覚の若い人で、話していて何の違和感もない。古くさいとか、話が通じないとか、そう思うことが一切なく、こういう70歳になれたらいいなと思える大変すてきな方だった。
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