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札幌できゃっきゃとはしゃぎ、疲れ果てる

お互いにひと仕事終え、パン屋で朝ごはん。隣のおばあさまから「おいしそうね」と幼馴染が話しかけられ、おすすめのパンをお伝えする。わたしからは見えなかったが、幼馴染いわく、おばあさまは我々がきゃっきゃとパンを食べる様子をにこにこ見守ってくださっていたそう。

ちくわパン

電車の席では、やはり隣のおばあさまが幼馴染の手をまじまじと見て、「すっごい乾燥してるじゃない〜」「かわいそう……」と心配してくださった。

幼馴染は昔から乾燥肌で、小学生の頃から手が乾燥していた。その手を見た小学生のわたしは「手がおばちゃんみたいだね」と無邪気に言い放ち、それが当時の幼馴染の心をひどく傷つけたのだと、大人になってから教えてもらった。

そんな彼女の手を、おばあさまが「乾燥している」と心配している。何も考えていなかったとはいえ小さな頃の彼女を傷つけてしまったことは反省しているが、その絵はちょっと面白かった。

幼馴染はおばあさまからおすすめのハンドクリームを教わり、わたしは下車直前に靴紐を結び直し、「もう着いちゃうよ〜!」と囃し立てる幼馴染に「焦らせないでよ〜!」とふざけながらバタバタ下車し、ふと気づく。我々はだいぶはしゃいでいる。だからおばあさま方から声をかけられる。

北海道博物館へ行く。展示の縄文人がかわいいと思ったら顔がほぼ蒼井優。

本州が弥生文化の頃、北海道では稲作は行われず、代わりに続縄文文化、擦文文化という独自文化がつくられたそう。続縄文文化の終わり頃から大陸の文化の影響を受けたオホーツク文化がサハリン経由で北海道のオホーツク海沿岸に広がり、そこからアイヌ文化が生まれていった。

当時、本州の和人から見た北海道に住む人は蝦夷と呼ばれ、和人が蝦夷地に出入りするようになったことでアイヌの自由も奪われて行く。1600年ごろに松前藩が交易を仕切るようになり、アイヌにとって不利な交易が行われたり、砂金を探しに来た和人が生活の場を荒らしたり。

開拓使が送られて以降、ロシアからの守りを固めるために蝦夷地の開拓を進め、アイヌに対して和人と同じような生活スタイルを強いるように。これまでの生活が野蛮扱いされたり、漁を禁止されたり、土地から立ち退きを要求されたり。

アイヌは各地に散らばって住んでいたようだし、国家なわけでもない。和人に対し、まとまって交渉や対抗ができるだけの勢力がいなかったことが沖縄との違いの一つかもしれない。

昔のスケート

北海道の動物コーナーには食物連鎖の説明の一環としてエゾシカとネズミイルカの死体が展示されていた。死体の展示は初めて見た。

同コーナーのちょっとした仕掛けを満喫し、お子さん用トンネルも這いつくばってくぐった。中間地点の穴から出た先にいるクマにしっかり声を出して驚くなど、ここでも我々はしっかりはしゃいだ。

博物館の近くには開拓の村もある。昔の北海道の建物が並ぶエリア。いちいち靴を脱ぎ中に入ったり、出窓のようになっていて腰掛けるスペースがある横長の窓に腰掛け、縁側の良さを感じ、台所の仕組みについて話し合う。幼馴染はニシン漁や屯田兵の宿泊所を見ては「くさそう」と感想を漏らしていた。最近とても臭かった出来事があり、くさそうなものに敏感らしい。

くさそうな部屋

大学寮にはバカな大学生の写真が複数展示されていた。時代は違えど、この年頃特有のノリは変わらないらしい。

大学寮は思想が強く、説明文からは作り手の見解が垣間見える。見終えた頃には一気に疲れてしまった。

大変まずいらしい

北海道はいろいろなものがとにかくでかいが、開拓の村もまたでかい。休憩なく歩き続け、帰路に着く頃には完全に疲れ果ててしまった。口数は少なく、眠気と戦い、たまに口を開いても要領をえない。行きとの落差がすごい。

休憩して飲みに行く。幼馴染は寝起きだったので、前半はぼーっとしていた。後半は真面目な話をしたが、店員さんが威勢の良く大声で叫ぶタイプのお店で、大きな声を出すたびに話が止まる。帰り道、我々の感想は「うるさい」だった。これぞミスマッチ。お店は何も悪くない。

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