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小学生の頃の憧れが25年後、現実になった

ドラゴンボールオフィシャルサイトで、取材執筆を担当した。

小学生のときに友だちが持っていた22.23.24巻を読んでどはまりし、セリフを丸暗記するくらい大好きだったドラゴンボール。そのオフィシャルサイトに自分の名前が載っていることに、感動のあまり大泣きしてしまった。誇張表現ではなく、本当に嗚咽を漏らして泣いた。

自分が書いた原稿だから何度も読んでいるし、最終原稿も事前に見せてもらっていたけれど、実際に掲載されているのを見たら「本当にドラゴンゴールの仕事をしたんだ……」と実感が遅れてやってきた。スクロールして記事の最後、ブルマの真上のクレジットに自分の名前を確認した直後に画面が滲んだ。

今回の案件のお声がけをいただいたときも、取材中も、執筆中も、ずーっとうれしかったけど、公開されたら想像以上にうれしくて、こんなにうれしいのかと自分でびっくりしている。これを書きながらまた泣けてきた。

小学生の頃のわたしは異常なまでにドラゴンボールを読み込み、そこから派生して『Dr.スランプ』に出会い、ドクターマシリトを知り、おまけページや扉絵に出てくる「編集者」に憧れた。大学生の時は出版ゼミに通って、集英社の面接も受けた。

集英社とは縁がなかったけど、人材企業で雑誌編集や広告制作を行う部門で内定をもらえた。が、それからまもなくリーマンショックが起き、「つくっている場合ではない」という理由で急遽営業配属になった。

担当エリアは千代田区。九段下がメインのエリアで、時々神保町にも行った。その頃は毎日100件テレアポ、1日3〜6件の企業を回るようなゴリゴリの新規営業をやっていて、オフィスビルなんて見慣れていたけど、集英社だけは特別なビルだった。

当時はいっぱいいっぱいで、とにかくしんどくて、毎日のように泣きながら仕事をしていて、しかも営業の仕事を望んでいたわけでもないから、「なんでこんなことをやっているんだろう」としょっちゅう思っていた。そんな時期に外から見る集英社はまぶしく、自分の現状に落ち込む気持ちを加速させた。

せめてと思い、飛び込みで集英社を訪ねたこともある。当たり前のように門前払いだった。

そんな新卒時代から約14年の月日が流れた。入社5年目の秋にようやく編集部に異動し、漫画の編集者ではないけれど、それでも憧れだった編集者という職業に就くことができた。そして幸いなことに、どうやらそれなりに適性もあった。

そもそも今回ドラゴンボールの案件に携わることになったきっかけは、別媒体の記事に始まる。適当に運営しているポートフォリオサイト経由で「〇〇の記事を拝見してご連絡しました」と問い合わせをいただき、オンラインで打ち合わせをする中でドラゴンボールが好きだと話したことから今回の案件につながった。

のちに問い合わせをくださった人と飲みに行った際、「ある媒体の記事を見ていて、いいなと思う記事の多くが天野さんが書いたやつだった」と教えてくれた。お酒を飲んだらすぐに記憶を飛ばしてしまうけど、こんなにうれしい褒め言葉はないからしっかり脳裏に焼き付けた。時々記憶を再生してはしがんでいる。

わたしが普段手掛けている記事のほとんどはビジネスやキャリアがテーマで、ドラゴンボールはおろか、エンタメの要素はほぼない。それだけ遠いところで仕事をしていても、一つ一つの仕事をしっかりやっていればこんなこともあるんだなとじんわり感慨深い。頑張って仕事をしてきて本当によかった。

同時に、営業から編集に異動する際にもらった寄せ書きを思い出す。みんなが好意的なメッセージを書いてくれた中、上長からのメッセージはなかなか辛辣だった。

あなたの最大の敵は飽きです。仕事の本当の面白さは、飽きを克服し、さらに奥深く行ったところにあります。あなたは仕事でまだそこまで到達していない中途半端人材です。突き抜けたあなたを見てみたいものです。

思い当たるところもあったし、仕事の成果が出ていないことへの後ろめたさもあったから、当時は反論もできず、以来ずっと頭のどこかにその言葉が残っていた。

今、記事制作の仕事を始めて8年目。飽きるどころか、年々面白い。

それに、振り返れば当時のわたしは仕事に飽きていたのではなく、「なぜわたしは望んだわけではない営業をやっているのか」という疑問がずっとつきまとう状態でどうにか働いていた中、ちょっとした変化や出来事による刺激で「頑張る」の配線が切れてしまっていたのだと思う。あと、どう考えても営業は向いていなかった。

それでも、当時のわたしはそうやって堂々と反論することができなかった。中途半端人材であることが事実である以上、奥深いところまで行かないことには何を言っても負け惜しみや言い訳に聞こえてしまうことを知っていた。

ようやく、今なら胸を張って言える。「どうだ、営業が向いていなかっただけで、もともと希望していた仕事は飽きずに楽しく続けてるぞ!!」と。

ずっと重くのしかかっていた「最大の敵は飽き」「中途半端人材」というメッセージ。小学生の頃のわたしが憧れていた「ドラゴンボールの仕事」によって、ようやく吹き飛ばすことができた。10年かかったけど、10年かけたからこそ晴れ晴れした気持ちでそう思える。

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