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AIに仕事を奪われる時代に見つめ直す「仕事とは何か」

金谷です。

AI技術により仕事が奪われ稼ぎがなくなり生きていけなくなんじゃないか。
こんな議論がされるようになりましたね。

新しい技術が使われるようになるとこれまでのやり方からシフトチェンジしていくことになり、当然廃れていくものもあります。

このAIというものは今後どんどん発展していくものでしょうし、これを怖がっている場合ではなく、当たり前に取り入れていくものと考えていたほうがいいに違いない。
そうなるとまず改めなければいけないのは「仕事」そのものが本来なんだったのかということ。


仕事の選び方

「仕事がAIに奪われたら怖い」と思うのはなぜなのでしょう。
確認です。えっと、あなたはそんなに仕事が好きだった?大好きな人が略奪されてしまうような気持ちに今なっているということ?

そんな人も中にはいるのかもしれませんが、大半の人が「別にそうではない」はずです。
ではどうして仕事がなくなったら怖いの?
きっと一つは給料がなくなるからで、その他にも与えてもらえるはずのものがなくなるから。

給料がなくなるから怖いのはとても素直で真っ当な意見です。
仕事に対価はつきものです。
なら、なくなっていく可能性のある仕事から、これから社会が変化していく中で人手が必要になる仕事に乗り換えていけばいいじゃない。人手不足の業界って実は常にあるはずよ。

これはこれで単純でいい考え方だと私は思います。
でも、そうは言っても単純にいかないのが人間です。そして今を生きている私達だからなのかなとも思う。

仕事って、本来どういうことを、なんのためにするものなんだっけ。
そのことを考えるためにまず現代の仕事の「選び方」から確認。
・やりたいから
・給料がいいから
・安定してるから
・スキルが身につくから
・楽そうだから
・職場の雰囲気があっているから

などなど、代表的なのはこんな感じでしょうか。
で、これらを念頭において仕事選びをするって、正直恵まれてるんですよね。
いまはこれが当たり前の基準とも言えるけれど、よく考えてみると「与えてもらうもの」が多いんです。


仕事ってなんだっけ

仕事をすれば対価として収入があり、身につくことがあり自分が磨かれていく。これは、どんな仕事だとしても真面目にやっていればそうなるものです。
ただ、仕事選びの条件として先にこれらを求めることばかりになると、「仕事ってなんでするものなのか」がわからなくなるのです。

あとから見い出していくはずだったものが、前提としてあることが条件になっている。
そうすると、それらの条件を常に満たしてくれないとそこでやり続ける意味がない、そう思ってしまう。

本来、仕事ってなんでするんだっけ。
私が思うに仕事は、自分ができちゃうことをして、それで対価がついてくる、そういうもの。
私は常日頃、「やりたくないことをいかにやらないか」そのためにはどうすればいいのか考えて、そのための努力をしています。
そこで気づいたのが、「やりたいことや得意なことを仕事にする」の軽微なズレです。

いやこれさ、間違ってないし、なんなら「仕事なんて楽しいものなわけがないし、給料は我慢料だ」っていう話よりもこっちを意識しようよって思う。
だけどさ、やりたいことや得意なことを仕事にするからこそ「思ってたのと違う」とか「続かない理由」になるんじゃね?と思います。

まず、仕事ってなんだかんだで一日の時間の大半を費やす場合が多いので、嫌なことはなるべく仕事にしたくないですよね。
だからやりたいことや好きな事を仕事にするというパターンがあります。楽しいに違いない。でも残念ながらそれは初めのうちだけだったりする。

なぜかというと、やっぱり趣味と仕事は違うからなんですよね。
もう、明らかに違う。なぜここを混同するのかというと、楽しそうに仕事している人が存在するからでしょう。
「やりたいことや好きな事を仕事にしているから楽しいんだろうな。だから自分もそうしよう」と思いがちです。
でもこれ本当にその順番でそうなったのでしょうか。


与える

仕事って本来、自分が何かをするという「与える」行為です。
「与える」ことにより対価がもらえて、感謝されて、スキルが磨かれて、できることが増えて楽しくなって、仲間が増えて、やりたいこともできるようになって、好きなことになっていく。と、そういうものなはず。
プロセスを見ないと前提条件に「やりたいこと、好きな事」がきてしまい、プロセスを踏むのが嫌になる。

先程も言いましたが、「与えてもらう」という意識を無意識にもっていたりするんですよね。
楽しそうに仕事をしている人がいるのも事実だし、そういう人たちが楽しんで仕事をしているのも事実。ただ、そこに行き着くまでにはプロセスがあり、結果を得るには順番が違う。


得意なこと

それとまた別で、得意なことを仕事にっていうのがありますよね。
本当はそれがいいと思います。
だけど得意なことって自分でほんとに理解してる?って話だよね。
わかってたら誰も苦労しないよ、のやつ。

で、得意なことを見つける方法とかもいろいろあると思うんですが、まず私的に「得意」って言われるとなんかすごいことできないといけないような気がして、人様のためになるような素晴らしいことじゃなきゃ!みたいに思うから、得意なことなんて見つけられた試しがありません。

だから私が自分に合う仕事がなにか探す方法としていいと思ってるのが「できちゃうこと」を見つけるということ。


できること

ちなみに「できること」ということでは?と思うかもしれませんが、これは違います。できることとは、できるようになったことです。
ですから、今までの経験や訓練によって身についたこと。本当は苦手だったけどできるようになったことってあると思います。

これを活かすのもいいですが、せっかく私の考えを述べさせていただけるので言うと、まだこれでは言い逃れする余地があります。
私は究極的に「やりたくないことをいかにやらないか」を常に考えています。とすると、できることをやろう、では飽きたり継続がきつくなってきたりする可能性があります。
ま、これも贅沢な話なんですけど。
「与える」という仕事をするにおいて、自分がいつの間にか続いてしまう、やってしまう状態をつくりたいのです。


できちゃうこと

はい、それでたどり着いたのが
「できちゃうことをする」ということです。
好きとも嫌いとも言えない、無の状態でできるものでもいい。
やり始めるとめちゃくちゃ時間がたっているようなものもいい。
ずっとその話ならしていられる、そんなのもいい。

これはかなり抽象的になってしまうんですけれど、そういう「できちゃうこと」から仕事のヒントは見つかります。
それって楽しいのか?という声も聞こえてきそうです。
忘れないようにしましょう。楽しくなるのはあとからです。なにより大切なのは、続けられること。続けられるからこそプロセスを踏むことができ、結果として様々なものが得られます。

そうやって考えてみると、「与える」から始まる仕事って、なんだか損はない気がしてきません?ね、「与える」って損したら嫌だなって思うじゃないですか。けどもう前提条件が揃わないと仕事しないぞって構える感覚とは全然違いません?

なにより、あなたが「できちゃうこと」って誰もができちゃうわけじゃない。これは自分でそうは思いにくいものですが、他人からするとそうなんです。
だから「与える」ことを恐れないでいましょう。楽しんで、やりがいを見いだせて、対価も成長もあなたのもとにやってきます。


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