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久しぶりにテレビを見た時間が愛おしかった

You Tubeとか、SNSとか、いろんな動画サイトとか、メディアが充実しているから、テレビを持っていない人も増えているし、わたしもつい最近までテレビを手放してもいいなと思っていた。

一人っ子のわたしは、もともとかなりテレビっ子。テレビを見て育ったのか、テレビに見てもらって育ってたのかわからないくらい、小さいときはずっとテレビと過ごしていた。18歳で一人暮らしを始めたときもテレビには大変お世話になった。誰もいない一人だけのお家は、自由だけど、ひたすら寂しくて、無音が怖かった。テレビの音がすると不思議と安心できたから、大抵見ていなくても朝から晩までいつでもテレビがついていた。
そんなことを思うと私はテレビさんに頭が上がらないのだけれど、年を重ねてアラサーになるころには、一人の時間や無音の時間が心地よくなっていって、テレビを全くつけないで過ごす日が増えた。テレビは週に何度かだけ、好きなアーティストのライブDVDをみたりCDをきくだけの道具になっていった。(びっくりされるかもしれないけど、わたしはテレビでCDを聴く…)

でも、昨年の春から彼と完全に同棲するようになってから、テレビは彼にスイッチを入れてもらって活躍することがまた増えてきた。彼も元々テレビっ子らしく、朝起きるとまずテレビをつける。私はテレビ離れしてきていたからそれがちょっと嫌だった。朝の静けさに雑音がはいるみたいで何となく心がざわざわするから。ご飯の時にテレビがついているのも嫌だった。ご飯の味が半減するような気がするから。もう、テレビなんか手放しちゃいたい、テレビがなければ彼も強制的にテレビ離れできるだろう…なんて強引なことを考えたこともある。

ただ、昨日 彼と夕飯後にテレビを見ていた時、久しぶりにテレビを見ていても心がざわつかなくて、むしろ幸福感に包まれた。何でもないバラエティーだったのだけど、なんでもない会話の糸口になっていたから。「私はこう思う~」とか「僕はこんなの腹立つ嫌い(笑)」とか、どうでもいい会話なのだけど、彼のかわいい一面が垣間見えるきっかけをくれたり、10年付き合って、日々の話題が尽きている私たちに新しい話題提供をしてくれたり、テレビさんのお陰で、私たち2人の時間がなんだかいつも以上に温かい時間になった。なんて愛おしい時間だったんだろうと思った。
わたしの中での、テレビさんの本当の役割・意味みたいなものがわかったような気がした。
テレビさんと私の思い出は、さみしくテレビを見ていた記憶じゃなくて、家族で笑っていた瞬間とか、ドラマを見てみんなでジーンとしていたこととか、ヤンマーのCMを見ながらおばあちゃんが歌っているのを母とこっそり聞いていたこととか、誰かとの思い出なのだ。私が一人暮らしを始めたときにテレビをつけると安心できたのは、毎朝家族で見ていた いつものニュース番組を見るとそこに父も母もいるような気がしたからなんだ。

もちろんテレビさんがいなくたって、家族の会話はあったし、おしゃべりな私はテレビを見ながらも、今日あった出来事を全部父母に話していたんだけど、でもテレビさんのお陰で家族は必ず居間にいて、同じ時間と気持ちを共有する架け橋にもなってくれてたと思う。

ネットを開けば、ためになる情報も面白い動画もたくさん転がっているし、それを各々見ていれば、誰かに合わせてみたくもない番組を見たり、チャンネル争いなんかしなくてもいいかもしれない。でも、私にとっては一緒にいる人が見たいものを一緒に見てみたり、チャンネル争いをしたりする時間が愛おしい。だから将来も、家族で1つテレビを持ち続けようと思う。
テレビさんこれからもよろしくね。




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