オランダ留学の夢を実現したら、そこはまさかの地獄だった話
前回は念願のオランダ旅行のあと、本格的にオランダ留学を目指し始めたところまでお話ししました。オランダの大学でオランダ語を専門に学べるのはライデン大学オランダ学科一択だったので、そこを目指すことにしました。EU圏外からの留学生は授業料がべらぼうに高かったり、願書と一緒に提出しなければならないIELTSのスコアがなかなか伸びなかったりと紆余曲折ありましたが、なんとかかんとか最終的には受け入れ許可が下りました。
期待に胸を膨らませて降り立ったスキポール空港。夏なのに朝夕肌寒い!そう、これがオランダだった!寮に着いてみたら、2人部屋とは聞いていたものの、何の仕切りもないワンルームに2つベッドと机が置いてあった!ルームメートのギリシャ人のお姉さんが、いきなり寝袋を担いで一緒にやってきた友達を部屋に泊めてもいいかとか聞いてきた!当時はWIFIもなかったので、ネットは一本のRANケーブルを遠慮しながら交互に使っていた!こうして思い出してみると、いろいろ覚えているものです。
さて、肝心の勉強の方ですが、初っ端から予想外の事態に襲われました。私がこの1年で履修するのはオランダ学科1年生の課程。1年生と言えば、まだ何もわからないぴっかぴかの新入生のはず。しかし実際にそこでクラスメイトになったのは母国の外国語大学ですでにオランダ語を2年間専門に学んできた中国からの留学生グループでした。
かたや、週1回、サークル活動で院生の先輩に簡単な文法を教えてもらっていただけの私。当時ネットもまだそこまで発達しておらず、生のオランダ語を聴いたり話したりする機会なんてほとんどないまま留学してきました。
むしろ、ぴっかぴかの1年生なのに、基礎の文法知識ならありますよ!ぐらいに思っていたので、焦りまくりました。クラスが始まって数日で、先生から「あなた、がんばらないと置いてかれるわよ」と言われたのが大ショックでした。勉強で置いていかれるなんて経験、したことないです、私。
毎日毎日、必死で勉強して、なるべくオランダ人と会ってオランダ語を話して、最大限頑張っているつもりなんだけれど、あっさり試験に落ちたりするんですよ。外国語の勉強が好きで得意だと思って、外大に入り、語学をメインに留学までしたのに、この時、私ははじめて気づきました。
私は語学が得意ではなかった!
なぜ、留学するまで気づかなかったのか考えてみました。英語で言えば、私は県内でも英語が得意な生徒が集まる進学校に通っていましたし、センター試験の英語はほぼ満点。外大で入った朝鮮語専攻でも成績はいい方だったと思います。
ただ、私が得意だったのは、使える英語ではなく、文法訳読式の時代の受験英語。朝鮮語もよく考えると会話の授業はあまり得意じゃなかったけど、日本語と似ているので真面目に頑張れば問題ないレベルにはできていたんです。会話の試験、ありませんでしたしね。運用能力重視のヨーロッパの語学教育とは要求される語学力が全然違います。
どうやら自分には語学の才能がなさそうだと思いながら、でも、親に高い学費を出してもらってここまで来たのだから、何も成し遂げられないまま帰るわけにもいかない。毎週、毎週、テスト、テスト。当時、明らかに暗い顔で呪われたように勉強を続ける私を心配して励まし、しょっちゅう一緒に勉強してくれた日本学科のオランダ人の友人たち、あのときは本当にありがとう。オランダ語と日本語は言語距離が遠く、上達するのが大変なことをわかってくれていることは、大きな心の支えになっていました。そのときに、日本語を勉強する人の役に立ちたいなと思い、日本に帰ったら卒業までに日本語教師の資格を取ることに決めました。
さて、辛かったオランダ語の勉強ですが、少しずつ上向いてはきて、留学生活の後半には、先生に「あなたはがんばってるから、ひとつ上のレベルのクラスに行ってもいいよ」と言ってもらえました。そのことを一緒に勉強してくれたオランダ人の友達に報告するときは、本当に嬉しかった!でも、心はもうだいぶ折れた後だった!
実は、留学生活の1年間は今でも楽しかった思い出としてよりは、苦しかった思い出として心に刻まれています。この記事を書きながらも目が潤んできます。「オランダ語を巧みに操り、物おじせず、外国でも自信のある振る舞いをする自分」と「語学が得意じゃないことに気がついちゃったけど、必死でなんとか最後までやった自分」。理想と現実のギャップは今でも私のコンプレックスです。
毎年10月3日。ライデン市は解放記念日で街中がお祭り騒ぎになります。当時、全然お祭りに遊びに行くような気分じゃなくて、外の喧騒を聞きながら、次週のテストに向けてひとりアパートの部屋で勉強しながら過ごしました。オランダに住むようになって10数年たちますが、今でも毎年10月3日が来ると、胸が疼きます。
今回はなかなか暗い話になってしまったので、次回は、留学生活後半の話、翻訳家への夢とブルーナさんのことを明るく書こうと思います。
続く!!
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