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部屋はあんまり片付かないけど安心は続く。わたしの「ていねいなくらし」
「ていねいな暮らし」にあこがれていました。
すっきりと家を整えて、こだわりの食べ物を口にして、本をじっくり選び、ときどきふーっと息をはきながら遠くの景色をながめる時間をもつ。
そんなふうに暮らせたら、きっと充実した日々が過ごせるにちがいない。そう思っていました。
ただ、すぐに挫折しました。私の好きなものは移ろうし、夫はなぜかどんどん家具を買ってくる。イライラしながら「物を増やさないで!」と叫んだところで「ていねいな暮らしって、気持ちが安定した日々をおくるためにやるんじゃないの?」と、その矛盾に気づきました。
そんなわけで、美しい部屋は手に入らないかもしれないけれど、気分の波がおだやかになったり、自分から目をそらさず、向き合えているなと感じられるようになったりする、私流の「ていねいなくらし」のやり方をご紹介します。
さて、いったい何に「ていねい」になるかというと、自分の心の声です。耳を澄ますと日常のあちこちでいろいろなことを言っている、自分の内なる声です。
心の声は、だいたいめんどうなことをオーダーしてきます。それも、あまりにも無理難題ではなく、ちょっと手はかかるけどできる…そんなことを伝えてきます。
たとえば、コーヒーを飲むマグカップを選ぶ時に、洗いやすくて頑丈なマグカップを手に取ろうとすると「そっちじゃない」と声がします。「棚の奥にある、お気に入りのあのマグカップがいい」。
お気に入りのカップはとても薄い陶器で、洗うのにも気をつかいます。そんな手間を想像して手前のカップを取ろうとすると、心に黒い雲が広がります。
それならと薄手の陶器に手を伸ばすと、しっとりとやさしい感触が伝わってきて、ホッと気持ちがほどけると、心の声は笑顔でフッと姿を消すのです。
慣れてくると、こちらの質問にも答えてくれます。
「出かけるときに持っていくハンドタオルは、薄手のピンク色のタオルとオレンジ色と、どちらがいい?」
「手を洗う機会が多そうだから、厚手のオレンジの方がいい」
「食パンにぬるジャムは、どれがいいかな」
「ジャムじゃなくて、バターを塗って。それからチーズとスクランブルエッグを乗せて食べる。ケチャップ多めで」
こんなふうに、最初の問いかけとはまったく別の方向から回答がくることもあります。けれど時間に余裕はあるし、材料は揃っています。私が用意できるメニューという条件にそのオーダーはちゃんと通るのです。
「あんバターもあるよ」
「いいえ、スクランブルエッグで」
「…了解」
そんなやりとりの末に食べる食パンは、バターの香りとチーズの塩気、卵の甘さが絶妙にマッチしていて、最高に美味しいのです。「うまあ!」と声を上げたところで、心の声はフッと姿を消します。
こういった声に応えるのは、スクワットをする時にコーチの人が言う「あと1cm腰を落として!」の感覚に似ています。できるけど、しんどい。でも、できる。この葛藤にしっかり向き合い続けると、ものすごく心が安定してきます。
じつは、心の声が言っていることをスルーしても、日々の生活に大きなつまずきは起こりません。
マグカップは洗いやすいものを選べばいいし、ジャムとあんバターを塗った食パンを口に放りこんでも、ちゃんと美味しさは感じます。そして、毎日お気に入りのマグカップを選んで!と声を上げるわけでもないのです。
めんどうくさいから。
ちょっとカッコ悪いかんじがするから。
そんな理由で、この小さな声を聞いてきませんでした。これからは心の声に耳を傾け、願いを叶え続けようと思います。ごく僅かだけどさらに負荷をかけるスクワットが筋肉を育てるように、少しずつしなやかな心が育つように思うのです。
わたしの「ていねいなくらし」は、家は整わないけれど、心は整う。
なぜか心の声は「家を片付けて」とは言わないんですよね…。
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