見出し画像

自己紹介

こんにちは、原田菜摘です。この度Noteを始めてみることにしました。初回は自己紹介をしたいと思います。

広島出身、現在大学4生の23歳です。(23年10月~24年9月まで休学中)
大阪教育大学で英語教育を専攻しており、中高の教諭免許(英語)を取得予定です。将来は国際協力の教育分野で仕事をしたいと考えています。

「全ての子ども達が教育にアクセスできるように」「全ての子ども達が安心して子どもらしく過ごせる環境に」という想いがあり、いずれは自分で、「子どもが安心して過ごせる施設(チルドレンセンターのようなもの)」をどこかに設けるというのが人生の目標です。(その頃にはシェルターの必要がなく、児童館のようなものの需要が高まっている世界になっているとそれほど嬉しいことはないのですが。。)

そんなこんなで、現在は絶賛休学中です。(4年生前期まで修了済)

休学期間の前半を使って、’23年10月から東アフリカのルワンダで半年間インターンをしていました。主に私立小学校でインターンをしながら(教育実習のような形)、教育支援をしている現地NGOでも活動させていただきました。

なぜ国際協力、教育の道を志したのか、これまでの人生を簡単に振り返りたいと思います。

幼少期

広島市に生まれ育ち、幼いころから平和教育を受け、平和について考える機会に恵まれていました。(8月6日は登校するのが当たり前だったので、全国の学校がそうではないと知り驚きました。)
そういう訳で、幼いころから「平和」という単語が刷り込まれていたし、「世界が平和であってほしい」と思うのが自然な環境だったと思います。
小学6年生の時、修学旅行でキッザニアに行き、大使館の職場体験をしました。今思えば大使館の職場体験ってなんなの?という感じなのですが、それをきっかけに、「将来は外交官になりたい!」と決意しました。
卒業文集には「私がなぜ外交官になりたいかというと、日本と世界の国々に橋をかけて、多くの子供の笑顔と命を守りたいと思ったからです。」(原文まま)と書いてありました。
鮮明には覚えていませんが、テレビや教科書を通して見た紛争下の子ども達に想いを馳せていた記憶があります。

中高生

中学生になり、初めてまともに英語に触れ、英語を使う楽しさにハマりました。学校のプログラムで行ったカナダも、英語を勉強するモチベーションになりました。

元々人前で話すことも好きだったので、広島市内で実施された「伝えるHIROSHIMAプロジェクト」や「ひろしまジュニア国際フォーラム」などのプロジェクトに参加させてもらい、ピースメッセンジャーとして広島から英語の平和メッセージを発信しました。
「被曝者の方達のお話を直接聞けるのはあなた達が最後の世代。次世代や世界に発信していくのがあなた達世代の使命。」ということは幼い頃から言われていたので、「国際(英語)×平和」の活動経験を得て、これが広島市に生まれ育った私の使命だと強く感じ、また自分の強みを生かすやりがいも感じました。

平和につながる仕事がしたい、世界の人とつながりたいという軸はぶれない一方で、職業としては外交官よりも、もっと現場に近い仕事がしたい、現地の人に直接還元できるような仕事がしたいと漠然と思っていました。

大学生

大学に入学し教育学部に入ったことをきっかけに、国際協力の中でも、教育という側面から草の根レベルで平和作りに貢献したいと思うようになりました。
しかし、肝心などんな職業につくのか、現地で働くのか、日本で働くのか、などは自分の中で漠然のままで、自分には何ができるんだろうとぼんやり考えていました。大学1,2年生の時はコロナで海外渡航も現実味がなかったので、かなりくすぶっていたと思います。(もっと日本でできることを探せばよかった、、!)

カンボジア

転機は大学2年生の冬。少しずつコロナも落ち着いてきて、いい加減何か行動しようと、海外渡航の道を探し始めました。その時は語学留学でもボランティアでもいいからとにかく海外!とサイトを漁っていたのですが、「カンボジアで英語教師のボランティア」を見つけた時、瞬間でこれしかない、とその場で申込みをしたのを覚えています。
というわけで、大学2年生が終わった春休み、1ヶ月間日本人の方が運営されているNGOに受け入れていただき、公立小学校で英語の授業をしていました。
教育学部とは言え、その時点では教職や実習もまだだったので、授業と言ってもあまり工夫を凝らしたものはできなかったのですが、初めての途上国・子ども達との触れあいから、たくさんのことを学びました。間違いなく自分の人生のターニングポイントになる1ヶ月だったなと思います。また、それまで身近に同じような進路を志す友人がいなかったのですが、カンボジアでたくさんの同志に出会い刺激をもらえたのも大きな財産でした。
当時の活動ブログ↓


カンボジアから帰国し、「途上国の教育分野に必ず携わりたい」「世界中の子どもが学校で質の高い教育を受けられる世の中にしたい」「NGOなどの立場で草の根レベルでの活動に関わりたい」という思いが明確になりました。そして、早く次の行動に移したくてたまりませんでした。考えたのは2点。「今度はアフリカに行こう」ということと、「今すぐ日本でできることを始めよう」ということでした。

フィリピン 

日本国内でできることを探すときに、カンボジアで現地の教育現場を体験できたので、今度はNGOの運営などに携われるインターンを探しました。そこで見つけたのがフィリピンを拠点に20年草の根で活動していたNGOのインターンでした。1つのプロジェクトの運営スタッフとして約10ヶ月のオンラインと現地2週間のインターンをさせてもらいました。このインターンでは、ファシリテーターとしてのノウハウや、広報のこと、現地職員とのやり取りなど多様な業務を経験させていただき、自分でも成長を実感することができました。 

当時のインタビュー記事↓


ルワンダ

フィリピンのオンラインインターンをする傍ら、アフリカ渡航の道も探っていました。アフリカに詳しい訳ではなかったので、まずは国探しから。治安のこと、英語圏であること、その国の教育事情、など様々な観点から国を調べ国を絞っていきました。最終的には、ジェノサイドからの平和再建という点が、自身の広島出身というバックグラウンドと結びつき、ルワンダに渡航することを決めました。大学3年生の夏前頃だったと思います。大学の都合や貯金などを考え、1年後に渡航しようと決め、まずはルワンダについて勉強しようと思いました。そこで、オンラインインターンでルワンダの就学支援をしているプロジェクトに携わる形で、ルワンダの歴史などを勉強していました。また、大学の授業を活用して、ルワンダの言語政策についてミニ論文を書くことで知識を深めていました。

実際にルワンダに渡航すると決めた後は、どんなことを現地でしたいのか・どこで活動するのかについて考えました。ルワンダに携わっている方や現地にいらっしゃる方にコンタクトをとり話を伺ったり、ネットで団体を検索し、最終的には、

私立小学校も経営しているNGO(ルワンダ人が経営している)に受け入れてもらいました。縁もゆかりもない日本人が、突然メールで問い合わせたのに丁寧に対応してくれ、現地でも家探しのサポートなど手厚かったスタッフ達にはとても感謝しています。

現地では、主に小学校で教育実習生のような形で幅広く活動しながら、NGOの事業地を巡り脆弱コミュニティの実情を学ばせてもらうなどしていました。
日本に縁もゆかりもない組織だったので、価値観の違いや言語の壁にぶつかることもありましたが、現地NGOの雰囲気や実情を知れたのも自分の中では大きな学びでした。

ルワンダでの活動は別記事にて詳しくまとめようと考えていますが、半年間の活動を通し、「子どもが安心して過ごせる場所をつくりたい」という想いが強くなりました。また、様々な立場の日本人の方にお会いし、卒業後のキャリアの選択肢も増やすことができました。

首都キガリの滞在でも、肌が白い外国人はいないエリアだったので、どっぷりローカルな生活ができました。(週末はおしゃれなカフェやレストランにアクセスできリフレッシュできたのはキガリの素晴らしいところ、、!)
肌が白い=私なので、近所の人はみんな私のことを覚えてくれて、「ティーチャー!」「ジャパニ!」「Keza(ルワンダンネーム)」などと声をかけてくれる日々でした。
家は平屋を借りていて、家電と言えば日本から持ってきたドライヤーくらいで、お湯もでなければ冷蔵庫もケトルもない、空き部屋あるけどGいっぱい出るし雨漏りもたまにする、家のドア開けたら大家さんが飼ってるヤギが目の前にいた、みたいな状況でしたが、親切な大家さんや近所の人たちのおかげで、活動以外も充実した半年になりました。

関心があったルワンダの平和構築という点では、良くも悪くも現地で生活しないと見えてこない点がたくさんあり、一時期は「平和ってなんなんだろうか」と悲しくなることもありましたが、それを知れたのも大きな学びでした。

大陸ならではの隣国との関係性や、文化・慣習・建物などから垣間見える過去の植民地時代の影響など、これまで学んでこなかったことへの関心も高まり、これも現地へ実際行ったことの産物だなと感じています。

ともあれ、とても充実した半年間を過ごすことができました。

今後について

先日、4月頭に日本に帰国しました。
大学は10月に復学し、2025年3月に卒業予定です。

大学卒業後は、「いつか子どもが安心して過ごせる施設(チルドレンセンターのようなもの)をどこかに設ける」という目標を達成するために、様々な職種・立場から国内外で「学校教育」「途上国駐在」に携わりたいと考えています。

子どもは絶対守られるべき存在で、心休まる環境を用意されるべき存在だと私は思います。教育や子ども保護という分野はソーシャルビジネスにはなりにくいのかなと個人的に感じていて、資金繰りが難しいのかなぁなんて思います。始めてみないと何もうまれないのですが、「資金繰りがうまくいかず活動が立ち行かない。センターにいる子ども達が急に路頭に迷う」だけは絶対に避けたいので、自分なりに色々経験してノウハウも資金も貯めて、それからチルドレンセンターを作ろうと思っています。

大学卒業後の進路はまだ決まっておらず、途上国で働ける道を模索している最中です。

どんな選択をとろうと、ブレずに根幹を大切にしたいと思います。

こんな感じで、自己紹介を終わろうと思います。

世界平和ってなんだか大きすぎて、世界では争いごとが一向に収まらなくて、無謀、だなんて思う方もいるかもしれないけれど、私はやっぱり、信じなきゃ始まらないと思うのです。

ある被曝者の方がこんなことをおっしゃっていました。
「本当の平和は人間には難しいかもしれない。けれども、心の中で1人1人が平和を意識しておくことで、最悪の事態は避けられるのではないかと思う。そのために平和の種を蒔き続けたい。」

私も、平和の種を蒔き続けていきます。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?