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未来の自分にふさわしいと思える環境を選ぼう


こんばんは。ナツミです。

わたしは1年ほど前に会社を辞めました。
自分に合わない仕事を長く続けていたので、自身で思っていたよりも我慢を続けていて、自分のやりたいこととか大切なことを見失っていました。

退職する前にコーチングに出会っていたので、必要以上に自分を責めたり、自分より他人を優先しすぎたり、いわゆる他人軸に傾きすぎたりといった「思考グセ」を少しずつ手放していました。

それが、会社を辞めてから(正確にいうと有給に入ってからですが)、その「思考グセ」の手放しが、グンと加速した感じがしたのです。

そのときに感じたのが、環境を変えることの大切さでした。


人が変わるには、環境を変えるのがいちばん

今年4月に転職しましたが、それまで10ヶ月くらいの間は仕事をしていなかったので、当たり前ですが退職前の生活とは一変しました。

たとえば、無理に人とつき合う必要がなくなり、周りにいる人・会う人も好きな人ばかりになりました。
仕事だからと無理にやっていたことはやらなくて良くなり、やりたいことをやれる時間が増えました。自然に触れたり、気になる人の話を聞いたり本を読んだり、運動したり。
自分を見つめる時間が増え、自分軸で考えるクセがついてきました。

仕事をしているときには絶対にできなかったことです。

おつきあいする人が好きな人ばかりになることも、やりたいことをやる時間が増えることも、仕事をしながら、わたしの自力で何とかしようとしても無理だったでしょう。

自分が変われば、人生は変わります。
けれど一方で、自分の力ではどうしようもないことを変えたかったら、環境を変えるしかありません。

わたしは会社を辞めると決めてから、プログラミングの勉強をスタートさせました。
けれど、働きながらではなかなか時間が取れず、時間が取れないから勉強が進まず、理解を深まらなくて難しさを感じ、自分には向いてないかもという気持ちがよぎりました。
ところが、退職後は時間ができて、プログラミングの勉強が捗り、とても楽しくなりました。
向いていなくて勉強が進まないんじゃなくて、時間が取れないから進まないだけだったのに、自分ではわからなかったんですね。

環境を変えたことで、時間ができ、プログラミングの勉強ができて、職業訓練校に通えて、転職することができました。

これも、仕事を続けていたら、できなかったことです。


環境を変えるのはこわい。けれど手放さないと、新しいものは入ってこない

わたしは仕事を辞めるという選択をしたことで、人生が大きく変わり、環境を変えることの大切さを身をもって感じました。

けれど、環境を変えるのは、とてもこわいことです。
うまくいけばいいけれど、そうはいかないかもしれないリスクがあるからです。


仕事を辞めるとき、周りの人からもったいないという言葉をいただきました。
確かに、長年勤めた会社で、役職もいただいていたので、年収とか立場とかそういう視点で考えると、もったいという気持ちになると思います。

けれど、わたしには、いま辞めないと手に入らないものがある、と思えてならなかったんです。

その気持ちが、わたしを動かしました。

退職して、環境が変わり、いろいろな大切なものを手に入れることができて、それは確信に変わっています。

(手に入れたかったら先に手放そうということを綴ったnoteはこちら↓)


迷ったときは、未来の自分にふさわしい環境を考える

環境を変えるのがこわい、と思うのは、今よりも悪くなることを遅れているから。

でも、今より良くなるための変化だったら、こわいけれど、前向きに受け入れられるのではないでしょうか。


人生には、様々な岐路があります。
この瞬間に選ぶことが、自分の未来を変えそうだぞ。というタイミング。
そんなとき、わたしは、「なりたい自分にふさわしい環境は?」と考えるようにしています。

なりたい自分がどんな環境にいるか、どんな仕事をして、どんなふうに働いて、どんなふうにプライベートを楽しみ、どんな人たちと付き合っているか。

その環境に近づくほうの選択を繰り返せば、いつかなりたい自分に近づいていく。

そんなふうに思うからです。


自分の価値を認めると、自分にふさわしい環境もわかる

「自分にふさわしい」という言葉を使うのは、なんとなく気恥ずかしいかもしれません。

「ふさわしい(相応しい)」とは、似つかわしい・ぴったり・釣り合っているという意味ですが、なんとなく目上の人や、気品のある人、ステキな人に対して使う丁寧な言葉であるイメージがあります。

「ふさわしい」という言葉で表現するときは、相手を高く評価していますよ、という気持ちがこもっている感じがします。

そのせいか「自分にふさわしい」という表現をするのは、自分を自分で高く評価しているというか、自意識過剰な人だと思われそうで、少し気恥ずかしく感じるのだと思います。

けれど、そんな気恥ずかしさは捨ててしまっていい。と、わたしは思います。

自分で自分の価値を認められる人は、他人の価値も認められる人。
自分で自分の価値を下げる人は、他人からもその価値で扱われてしまいます。
自分でも自分の価値を、ちゃんと認めてあげていいんです

ちょっと話が逸れてしまいましたが、
自分の価値をちゃんと認めていないときには、自分に合わない場所や、我慢を強いられる場所にいても、その場が自分にふさわしいと思い込んでしまいます。
(決してその場所が悪いと言っているわけではなく、自分に合わない場所は自分にふさわしくないという意味です。)

だから、自分にふさわしい場所を選ぶために、まず自分の価値をちゃんと認めることが大事だと思うのです。


まとめ

何かを変えるには、環境を変えること。

環境を変えるのはこわい。それは悪くなるリスクを考えてしまうから。
けれど新しいものを手に入れるためには、何かを手放すことが大事。

自分の価値を認められないと、自分にふさわしくない環境で満足しようとしてしまいがち。
今より良い環境を選ぶために、まず自分の価値をちゃんと認めよう。

そして、自分にふさわしい環境を選ぼう。
あなたには、その価値があります。


#ナツミnote 【Day183】
自分の声に耳を傾けることで、自分を大切にしよう。そんなnoteを、ほぼ毎日書いています。書いたのにアップし忘れて、noteが数えてくれる連続更新記録のカウントが途切れたので、「ほぼ毎日」。たまにエッセイ。

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