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価値観の違う夫と結婚したらはちゃめちゃに幸せになった

価値観の合う人と生活を共にする、それが幸せを掴む為のセオリーだと思っていました。

その方が、一緒に過ごす上で、気を遣わなくて楽なんじゃないかなあ、と。漠然と。

どんな人がタイプ? という質問に、それっぽく「ん〜、価値観の合う人かなあ?」などとのたまってきたのも、いつかスタバで隣の女子会をリスニング&ラーニングして覚え、今すぐ使えるワンフレーズ的に発語してしまったのがきっかけでした。

口に出していると、次第に元からそう思っている気がしてくる。言霊ですか? いいえ、安直なだけです。

でも、よく考えてみると、価値観が合わなくても、むしろ、価値観の違う人の方が、一緒に生きやすいのでは? と最近気付いてしまいました。

結婚した夫は私と真逆のタイプの人間です。

私は夜型、彼は朝型。

私は生のお芝居が好き、彼は映画やアニメが好き。

私は洋楽ポップやR&Bが好き、彼は儚い系女性ボーカルやピアノクラシックが好き。

私は蕎麦派、彼はうどん派。

挙げれば本当にキリが無いんですけど、生活サイクルも基本性格も全然違うし、「共通のスキ」が結構限られています。

よく考えてみれば、全く違う個人同士。当たり前のことですよね。

でも、同居したての頃はこのギャップに慣れるまでしんどい時もありました。

好みのエンタメの方向性が違いすぎて、どちらかの趣向に偏ってしまうとどちらかの感性が死んでくる、みたいなやつがまあまあしんどかったです。

こんなん言ってごめん夫。あっ、泣かないで……!

でも安心してほしい、私は君と結婚していま人生イチ幸せなんです。

夫は義理人情に厚く、とにかく優しい人です。
そしてほんのり上品で、冷静で、頼りがいがあります。
そして、いい歳した大人の嫁がモラル違反を犯したら、きちんと叱ってくれます。
いつでもありがとうの言葉を忘れないし、家でも外でも「人が先、自分が後」をデフォで実践できる人です。

ここまでくるともう、私が思っていた価値観の相性というのが殆ど機能しなくなってくるくらい、一緒にいるだけで得るものが多い。おつりきちゃうくらいです。

嫁の誕生日の為に、自らの愛機SONY a7ⅲとそれに付随する神レンズを売り払い、FUJIFILMのボディ2台とレンズ2本に変えてくれたんですよ。

大事な愛機、売ること無かったのに、どうして?と問うたら、

「だって……なつみにも、写真撮る楽しさ知って欲しくて! ファインダーから景色覗くと、世界の見え方変わるかもよ!(ニコッ)」

と……。

いや、グリム童話か??

きみは仏様か? ナウシカか?

それくらい優しい人なんです。

私が上京して寂しそうにしていると、自分の友人の奥様をSNSで繋げてくれたり、会社の部活動に連れ出してくれたりする。

こんなに優しい人と過ごしているからか、自分の思考回路までちょっと優しく改造されてきました。

前出のエンタメの趣向違う問題にしても、お互い、新しいものに触れられていいじゃん!

とポジティブに受け入れられるようになる。

夫はお酒が飲めないので、自然と私も飲まなくなり(春は毎日レモンサワーを1缶開けなければやっていられなかった)、朝型派になり(夫が起こしてくれる)、旅先の宿で朝風呂を堪能するまでに成長しました。

お母さ〜〜ん! あたし、朝食前に朝風呂行けたんだよ〜! 早朝に起きれたんだよ〜〜!!
信じられる〜〜〜?!!!

宮城の母に向かってベランダから叫びたいほどの変化!
なんなら、スカイツリーの電波に乗せて全国へ発信したい!

価値観の違う夫と結婚したら、しんどいことがいっぱい起こると思っていた。けれど実際は、個々人の趣味の違いなんて、あんまり関係無かった。

むしろ、価値観の違う人と暮らすことで得るものが沢山ありました。

「価値観」と言う言葉に、どんなピースを当てはめるのかは人それぞれです。

そもそも私が「価値観」だと考えていたもの、は本質的なそれではなかったのだ、と今はそう思います。

私たち夫婦は一見、正反対な人間です。その分、新しいものを与え合ったり、足りない要素を補い合ったりして、今まで以上に楽しい日々を暮らしています。

結婚したことを機に、というか、菩薩のような旦那と同居し始めたことを機に、社会で生きていくために必要な心づかいを学びなおししているような感覚があります。

お互いの違なる要素を否定せず、受け容れながら『家庭』という小さな社会を築こう、という思考を手に入れられただけでも、新婚生活1年目、いい年だったな。

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