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Self Brain Discussion 2

さあ脳内自己討論会ですが、まず私はなぜあの時「頑張っている」と他者視点での承認ではなく、「頑張りを認める」という自己視点での承認に言い換えたんだろうと思った。

でもそれは単純に私が頑張っているねと言われたくないからではないかと思う。頑張るにゴールはないし人によって度合いは異なる。だからこそ時に行きすぎて見えなくなってしまう。頑張ってるは優しい言葉に思えて、突き放すような冷たい感じがする。

仮にとても長いなにかを測ろうとする。するとある地点の長さまで到達したら1人の手では測定が難しくなり、誰かの手を必要とする。そんな感じと一緒で頑張りも自分では測りきれなくなった時に、他者が必要になる。ああよかった、1人じゃなくて誰かいて、みたいに。他人でも同じ人としては変わらないと思っている。今を切り取ったら他人なだけで、明日もしかしたら共通の友人から紹介され友達になるかもしれない。他人にはそんな可能性を秘めている。

だからこそ頑張っている人、その先で苦しんでいるそんな人たちが救われない世の中ではあって欲しくないと思う。でも同時に私には何ができるのかとも思う。

正解のない問いをいつまでも考える必要はないが、他人を考えることで自分の明日に繋がっている感じがする。こうやってわたしも、自分で自分を承認してあげることでこの討論会に決着がついた。結局わたしも下手くそみたい。

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