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ことばは巡る

 現代では当たり前の言葉であるところの「おかか」「おかず」「おでん」「しゃもじ」「へちま」、これらが元々はインフルエンサーによる流行語であるとしたらどう感じるだろうか。

 遥か昔、室町時代に御所で奉仕する女房たちが造語を次々と編み出した。それらは女房詞(女房言葉、にょうぼうことば)と呼ばれ、当たり前のように現在でも使われているものも少なくない。冒頭に挙げた5つの語句もそうだ。
 丁寧の「お(=御)」や婉曲表現の「もじ」をつけたのが主な例で、「味噌汁」をさす「おみおつけ」は「御御御付」と御を3つも重ねられている。

 上品さや婉曲の演出を意図したものとはいえ、現在の造語と同じように意図的に創り出された言葉が残ってきたというのは面白いものだ。宮中という雅な場所からもたらされた極めて特殊な言葉(業界用語)が、時を経てありふれた日常語になったのだから。

 
 先日、藤井 風さんがツイートで「よしなに」と書いていたのが非常に印象的だった。これはお笑い好きを知られている彼のこと、おそらくはオードリーが元なのだろうと勝手に推測したが、なかなか興味深い。

 わたしは常日頃から語感が好きで「よしなに」を用いるが、現代において一般的にはおそらくあまり使われなくなった言葉に分類されるだろうと思う。インターネット上、とりわけSNSでは春日さんの影響からか見かけるものの、ことビジネスシーンにおいてはその曖昧さから忌避されることもあると聞く。(仕事柄やりとりのある方の中には「お目もじ」や「ご機嫌よう」が日常語という向きもあり、環境なども影響するので一般化出来ないのは前提である。)

 影響力のある人によって拡散され、さらに他ジャンルで影響力のある人によって再度拡散される。一般的ではなくなってきた言葉ではあるが、この道筋は流行言葉の伝播と非常に似通っているといってもいいだろう。
 かつては珍しくもなかった言葉が、廃れていく中で再び別の文脈(この場合はお笑い)で発見される。さらにそれが注釈なく次の手へと渡っていくさまというのは、何とも面白いもの。意図の有無に関わらず、過程によって符丁が外れていくようだ。
 勿論、これがまた一般的に使われるようになるとまでは考えてはいない。しかしながら当該ツイートへの反応や利用などを見るにつけ、言葉は生きているとよく言われるが生き返ることもあるのだなあと思うのだった。

 
 余談だが、かつてこうした言葉の発掘について「○○の文脈だとわからないのか」というような言及を何処かで見たと記憶している。
 しかし、それがわからない人に向けても言葉は渡っていくものだ。言葉の来し方を知らずとも言葉そのものは使える、その意味において大変に自由度が高い。
 言葉の有する自由な性質も興味がない向きには至極さっぱり不明な話だとは思うが、いつか「わからない中へ滲み出していく」面白さがあるということにも気付いてもらえたなら・・・・・・と勝手なことを考えたりなどした。
 
 このような「文脈を解さない人にも広がっていく」性質は音楽も同じで、カバーやリバイバルヒットなどはまさにそうしたものだろうと思う。ならば、言葉のカバーやリバイバルヒットも繰り返し有り得るということか。
 幅広くカバー動画をアップしている藤井 風さんのツイートからここに着地するのは、こじつけなのか必然か。捉え方は人それぞれということで、どうぞひとつよしなに。

 
 
 ◇ ◇ ◇ 
 

 日テレには昔学習院出の名物Pがいた。この井原Pが「よしなに」を使う人で、これが通称「井原組」に広まったという。

 オードリー春日さんの「よしなに」がどこから来ているのかはわからないが、きっとそれにもきっかけがあるだろう。言葉を手繰れば何処までも遡っていく。ごく一般的な語句において、そのコンテクストの無知を嗤うのは割と野暮なことなのだ。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」