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なにもない人などいないから

つらさにも、色々な種類がある。
そのつらさを無くそうと足掻いた結果、より深みにはまることもある──というお話。

体調不良になった時、もしくは病気がわかった時に大切なことは一体何でしょうか。
インターネットや知人、たとえば同じ町内のおじさんに、まず医学的な部分で頼るでしょうか。

休養をとること。
そのために学校や職場で休みをとること。
そして、病院に行くこと。


これらが一般的になされる選択だと思います。
信頼のおけるかかりつけ医を持つことはとても大事です。
きちんと診ていただく、そして病気・病状によっては大きな病院や他科に紹介されるかも知れません。

知人に頼むならば付き添いですし、インターネットでは「自分そのもの」は誰もわかりませんよね。
適切に専門家を選ぶことが、しっかりと治すことに繋がります。
 

ではこころの問題はどうでしょうか。
実はここで、わたしには気掛かりなことがあります。

雑誌をはじめ様々なメディアで、御意見番として芸能人や各界の著名人が人生相談の場を設けており、中には「終始、舌鋒鋭くズバッと斬る」タイプの方も見受けられます。
 

その人は、果たして専門家でしょうか。

はじめにお断りしておきますが、わたしはその道の専門家ではありません。
とある資格での必要から、専門分野ではないものの過去に大学で心理学(カウンセリング含む)を履修し、複数の関連単位を取得しています。その資格を用いて職に就く場合、そうした知識が必要不可欠になるからです。

とはいえ実地での経験は殆どありませんから、座学にちょっと尻尾が生えた程度、というくらいのものです。
 

その程度のわたしでも、これは怖いな、と瞬時に思うことが多々あるのです。

わたしのごく近い存在に、こころの風邪を患っている人がいます。またわたし自身も、かつてPTSDの診断を受けたことがあります。

こうした病気を抱えた人は、まず自らを責めがちであるということをご存知でしょうか。深みへと足を進め、時に溺れてしまいます。
 

そうした状況にあるかも知れない人を「文章のみ」「見た目のみ」で判断することは、とても危険な行いです。

なぜなら、自責の念を抱えた人たちは、文章の上ですら割り引いて表現することがあるからです。自分の中にあるはずの良いところにも、まったく気が回りません。

人は自らの価値観や自負するところに拠って物事を判断しがちです。常にバイアスという眼鏡をかけて歩いている、と言ってもいいかと思います。
勿論、これは誰しも持っているもの。当たり前のことではあります。

ただし、それは自分にのみ適用されるもの。他人に合う眼鏡ではないのです。ところが、いわゆる御意見番的な立場をとる人は、こうした前提を知らないことがしばしばあります。

カウンセリングには、実は特別な資格が必ず必要というわけではありません。人生相談も同じです。誰でも、高等教育の場で学ぶこともないままに、その看板を掲げることが出来てしまう。
 

時折、相談者の人となりを否定するような言葉かけをする人もいます。

教育を受けていたり資格を持つカウンセラーならば、勿論、このような初歩的かつ致命的なミスは犯さないでしょう。

カウンセリングをするとき、まずは信頼関係を築くことが大切になります。一旦クッションのように受け止め、傾聴し、丁寧に紐解いていくことが求められるのです。そして解決策は相談を受ける側にあるわけではなく、相談する側の中にある。

このあたりはプロによるお話をお読みください。リンクはsoarから、臨床心理士である岡田太陽さんのインタビュー記事。
https://soar-world.com/2019/11/07/taiyookada-3/


なにも考えず、なにも感じていないならば、まず相談することすら思いつかないでしょう。そして打ち明け話には勇気を必要とするものです。
ここから、相談者は充分に追い詰められた状況にある、という可能性は常に念頭に置かなければなりません。
 

悩む方へ:なにもない人、空っぽの人はいません。誰にも歴史があり、思い考え悩むこころがあります。

若くてまだ人生を様々に迷っていたとしても、その人なりの良いところがきちんと存在します。

もしこれを読んでいるあなたが、何かを失ったりとらわれていることで「自分にはなにもない」と考えているならば、それはつらい日々を過ごす中で自分を肯定する力が弱くなってしまっただけ。

重荷をおろす適切な場所が、きっとあるはずです。


 


相談を受ける方へ:知っていますか。

現状から這い出そうとしてもがいている人に、いきなり厳しい言葉をかけることは良くありません。
相談者にとって追い討ちにしかならず、いっそう他人を頼れなくなることで最悪の状況を招く可能性があると、予め知ることが重要です。

また、他人にコントロールされている状況の人は、意思のとおりに動くことがかなわず、大変つらい思いをしていることもあります。
 
 

第三者へ:他人の不幸でカタルシスを得ることは、いつかあなたの不幸を誰かのカタルシスにすること。

オープンな場での相談は、インターネット上においてもそうですが、その内容が拡散され、第三者がさらにコメントをつけることがあります。

よく知らない人の不幸が他者によって語られるとき、それをもって「スッキリした」「せいせいした」「もっと頑張ればいいのに」などとコメントすることは、既に充分弱っている相談者に石つぶてを投げつけるようなものです。

そしてあなたが心底悩んだ時、同じような場で打ち明けたとしたら、同じように石つぶてが四方八方から飛んでくることを覚悟してください。ブーメランは必ず返ってくるものです。

生きにくい人が本当に報われようとして、沼や暗闇から這い出してくるとき、それを無意識であれ阻止するような人間にならないように気をつけること。それは社会に生きる大人としてのマナーです。
 
 

本当にどうしてもつらいときは、どうか専門家を頼ってください。わたしもそうして救われたひとりです。本物のプロには充分な知識と経験、守秘義務もあります。
その選択は回復への第一歩です。
 



こちらも悩みについて書きました。
正論の向こう岸にあるもの|なつめ @natsumex0087 #note https://note.com/natsumex0084/n/nd00a6e0c09a6
 

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」