想像とため息
手術前の不安、そのひとつに「痛いだろうな」があったけれど、現代医学とは実のところそういうところまで気の利くいいやつで、大きく切ったところは存外痛くなかった。
これがフィクションだと、かなりの確率で術野とりわけ創部あたりがてきめんに痛くて、もしかすると顔を歪めながらナースコールを押すことになる。
むしろ痛かったのは姿勢を固定するためにすべてを引き受けた腰のほうで、時間が経過するにつれてじわじわとつらさが増していくのだ。寝返り、きみはいいやつだったんだな。
しばし悩みつつ、ナースコールを押す。白旗。
痛み止めを増やしますか?いや、実は腰が痛くて。ああそうですよね!クッションになるものを当てますね。
ここまでのやりとりが淀みないことから、よくある流れなんだろうなとぼんやり納得をする。
勿論これはわたしの経験で、誰だってそうなるわけじゃない。
でもまあ、鎮痛のスペシャリストが素晴らしい仕事をしてくださっているのを実感したのは間違いない。麻酔科と薬剤部はすごい。それに、つらい時にはいつだって遠慮なく声を掛けていいのだ。
思うよりも実際には何とかなることは多分たくさんあり、慎重派のわたしは随分と見逃し三振をしてきたのかも知れないと振り返る。
だからこそ、まだ触れぬつらさを恐れてため息を繰り返す人に求められたならば、自分の経験から言えることをそっと伝える。
誰かの痛みを減らすために日々研鑽するプロフェッショナルがいる。大丈夫、ひとりじゃない。
なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」