見出し画像

小さな小さな旅の非日常

 日常の中には、やらなければならない身の回りの日課や、仕事においてもできればやりたくない苦手な業務のようなものがあったりします。生きていくために「どうして私がこんなことをやることに…」というような嘆きや疲れのようなものが積み重なってくることがあります。 
 
 そんなとき、普段の自分だったら行かない場所に、ときどき行ってみたくなります。普段の自分がいる場所ではない違う空気感やスピード感がある場所が、救いになったりするからです。いつもは子育て世帯が多い住宅地に住んでいるため、朝は、小さいお子さんを自転車に乗せて保育園へ向かうママたちや、小学生、中学生たちが登校時間に歩いている姿をよく見かけます。そんないつもの日常の住宅地を脱出して、たまには大学生が多い街に、朝の限られた時間に行ってみようと思い立ちました。何の用事もないのに、朝の通勤通学電車に紛れて乗ること15分。東京のとある学生街へとやって来ました。駅を出て、大学がある場所へと、私も向かって歩いていると、20代前後の大学生らしき姿がちらほら見えてきました。これから、その大学の講義に向かい、同じ方向へと歩いて行きます。私もその流れについて歩いて行きました。

 私の日常では、遭遇することがなかった大学生たち。その雰囲気がとても新鮮でした。外から見える自習室があり、そこを通リ抜ける途中、黙々と勉強している大学生の姿が見えました。何かのレポートを書いているのかもしれません。大学生たちが勉強している姿を見ていたら、私にも、そんな時期が遠い過去にあったなぁ、と20代の頃を思い出しました。そして、最近止まっていたあの勉強のことを思い出し、大学生たちが勉強している雰囲気に刺激された私は、「また、やってみようかな」と思い始めました。大学生たちは、私のように呑気にぶらぶらと歩いてなどいませんでした。講義がある教室に向かい、スタスタと歩いて行きます。20代前後の大学生たちが、何かの目標に向かって勉強しているエネルギーを久しぶりに感じとった私は、「もしかしたら、あの諦めかけていた私の勉強も、この大学生たちがいるこの場所なら再開できるかも」と、一瞬前向きな気持ちにさせられました。その後、そこの大学生や大学の先生らしき方々が利用している大学内にあるカフェに紛れ込み、私もモーニングのセットを注文し、コーヒーを飲んでみました。そこの空間で、さらに私はいつもの日常から離れることができ、「ふー」と一息ついていると、日常と非日常をつなぐ、小さな虹がかかったような気持ちになりました。

 日常を少しはみ出したところにある非日常。そこには、普段の自分がいる場所とは違う空気感やスピード感がありました。短時間でも非日常の世界に身を置くことで、普段の日常を生きるエネルギーがチャージされたようです。静かに勉強ができそうなカフェを見つけ、あの諦めかけていた私の勉強も、ここでなら、再開できるかもしれないと、勘違いして帰ってきました。いい意味で勘違いすることも、ときには必要かもしれません。私が住んでいる街で見かける年配のおじいさんや、子育て中のママたちがいるカフェでは、私は勉強ができないことがわかりました。その大学内にあるカフェは学生以外でも一般利用ができるのですが、私が普段見かける客層の方は、一人もいませんでした。客層が違うことで、こんなにも店内から受け取るエネルギーが違うのかと思いました。電車でたったの15分の場所で、非日常を感じ、いつもの日常にお昼に帰って来ることができました。たまには限られた朝の時間の小さな小さな旅もいいな、と改めて思いました。また煮詰まってきたら、訪れてみようと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?